その想いは秘めやかに

君はよく、私のことをバカだと言うが。
きっと、本当にバカなんだろうな、なんて今では思っている。
君のことになると、特に、私はバカになるようだ。

+その思いは秘めやかに+

「こんなところで、何しているんだい?君は」
出逢いは、実に奇妙だった。
試験会場の妙にギスギスした雰囲気がイヤで散歩に出かけた私の前に、いかにも「迷いました」という顔でうろうろしている男がいたのだ。手には地図とおぼしき紙片が握られている。そして、紙上と周りの風景を見比べながら行ったり来たりしている。
しかも、彼の名は李絳攸。
かの紅黎深の養子で、今回の試験に期待がもたれている天才である。
彼ほどの頭脳の持ち主がこんなところで、道に?
「な、なんだっていいだろう!散歩だ散歩!」
ふん、とそっぽを向いた絳攸は、なぜか少しだけ顔が赤かった。
「余裕だね。私たちの威信にかかる大試験の当日だというのに」
「お前だって、いいのかこんなところでフラフラしていて!」
「私はできないことをしたりはしないよ」
にこやかに笑ってみせる。
私としては好意の印に笑みを見せたつもりだったのだが、彼にとっては、皮肉以上の何物でもなかったらしい。みるみるうちに彼の顔に血が上っていった。
「なんだお前は!藍家の出だからと言って生意気だぞ!藍楸瑛!」
「私は、もともといい性格じゃないのでね」
「余計に腹が立つ!」
イライラした様子を隠すでもなく、絳攸は私に散々文句を言いまくった。
そして、肩で荒い息を吐くと、くるりと踵を返してすたすたと歩み始める。
…………会場とは反対の方向へ。
「おい、君」
「なんだ!もう話しかけるな!」
振り返りもせずに絳攸はわめく。まるで子供のようだ。
だから、少しだけ私の意地悪な心が「何も言わないほうがいい」とささやいていたが、彼の可愛さに私は思わず口に出してしまっていた。
「そっちは会場じゃないよ」
私たちの間に初春の風が通り抜けていった。


それから、私たち(私がもし絳攸を見殺しにしていたら絳攸は失格だっただろうけれど)は見事試験に及第し、文官として働くこととなる。
しかし、私は文官になって、なぜかあまり満足していない自分に気付く。さほど勉強もしていないから達成感がないだけなのだと私は思っていたが、なんだか、自分には文官が似合わないのだと思えてならなかった。
そこで、私はすっぱりと文官をやめて、武官になった。
絳攸はずいぶん驚いていたが、私としてはこちらのほうが私に会っている気がするので、今のところは満足している。
それに、私が絳攸の出世の道をふさいでいるのなら、どいてやらねばならんしな(ふっふっふ)
そうして時は過ぎ……


「なあ、絳攸いいかげんその女嫌いも治した方がいいぞ?」
「大きなお世話だ楸瑛。それどころか、お前の方こそその女遊びも大概にした方がいいぞ。王朝内で夜な夜なすすり泣く女の声が聞こえると、俺たちの間じゃ気味悪がられてる」
私は彼女たちに愛の告白などした覚えはない。ただ一晩身を寄せ合っただけだ。
「それは彼女たちが大きな誤解をしているせいだよ、絳攸。私はきちんと女性に対して振る舞っているつもりなのだが」
いつもならここで、絳攸のうるさい小言が飛んでくるはずだったのだが、絳攸は何かの考えごとをしているのか、私の方を少し睨み付けただけで会話は終了してしまった。
……さては。
「絳攸、好きな奴でもできたか?」
たっぷり三回。三回瞬く間、絳攸は見事に固まって見せた。
絳攸の性格からいって、これは間違いない。
はたして誰だろうか。女嫌いの絳攸が好きになると言うことは、相当の男勝りと言うことになるか。しかし、女官にそんな男のような女はいないし、絳攸が街へ出ていく方ではない。一体、誰が………。
「な、何を言っているんだ、楸瑛。俺にそんなヤツがいるわけないだろう!大体、俺は女が大っ嫌いだ」
「まさか、男か?」
「ふざけるな!俺は主上のような趣味はない!」
さっきからの質問の応答は、まぎれもなく絳攸の本音だ。
なぜ、好きな奴が分からないんだろう。自分の感情なのだろうに。
「もしかして、お前恋をしたことがないのか?」
「なっ、俺だって、こ、恋くらい、したこと……!!」
予想が大当たりしすぎて嬉しくない。
李絳攸、彼はこの容姿を持ちながら、女性の一人も近寄ってこなかったのか。否、近寄って来すぎて女全てを嫌うようになったのか。
「よし」
「な、なんだ突然」
絳攸はすっかり動揺してガクガクしていた。
これなら、自称・鉄壁の理性の絳攸でもいけるかもしれない。
「行くぞ」
絳攸の手を掴む。絳攸は抵抗したが、絳攸はなぜか武術を体得していない。よって、私に敵うわけもなく。
「どっ、どこへいくんだ?」
僅かに不安げな声で絳攸が呟く。私はあえて、こともなげにいってやった。
「遊郭」
「はぁぁぁ!?いやだぞ、俺は、行かない!」
残念だが絳攸、君の要望は却下だ。


「藍将軍、今日のお連れはなかなかですねぇ」
「だろう?こいつ、こう見えて恋もしたこと無いんだ」
ちらっと横目で絳攸を見ると、彼はなるべく周りにいる女に目を向けないように、足元を見て酒を少しずつあおっていた。
「ねーぇ、どうして何も言ってくださらないの?」
「こちらを向いてくださいなぁ」
一応、常識はあるらしく、しなだれかかってくる女をはね飛ばしはしない。けれど、受け入れもしなかった。
私も適当に女をあしらいながら、少しだけ、悪いことをしたかな、と思った。
けれど、これは治してもらわなければならない。無理矢理にでも。
「ところで、楸瑛」
酒がまわってきたのか、絳攸はだいぶ呂律が回っていない。
絳攸とは何度か酒を酌み交わしてきたが、ここまで深く飲んだのは初めてのような気がする。
絳攸は悪酔いするヤツだとは思わないのだが。
「お前は、こんな女どもがうじゃうじゃいるところにいて、楽しいのか?」
絳攸は、また杯を空にした。まて、今ので何杯目だ、こっちはこっちで忙しくて気にしていなかったではないか。
「たいして美しくもないのに」
その一言で、店にいる全ての女性の視線が絳攸へと集まった。まずい。
「絳攸、悪ふざけが過ぎるぞ、そのあたりで……」
「いいや、ふざけてなどいない。俺は純粋にそう思った」
にやりと絳攸が笑う。
そして、私がいままで見てきたどんな女よりも色気の漂う視線をこちらに向ける。
ぞくりとした。
「この中で、お前が一番美しい……」
…………。…………。…………何?
私が、一番、だといったな、こいつは。
もしかしなくても、先刻の「好きな奴」というのは、私か?
いや、それはあるまい。そうだ。ただ、こいつは酔っているだけなのだ。
「皆さん、すみません、絳攸は酒に弱くて」
適当に取り繕って、女性型に特上の笑みをこぼしながら、私は絳攸を引きずって店を後にしたのだった。


私はそのまま絳攸を藍家に連れてきた。
黎深様にきちんと文をしたためながら、私は考える。
先程のセリフは本当なのだろうかと。
酔い覚ましの水を椀に汲んで部屋に戻る。酔いが醒めてから、謝罪などを伝えるつもりでいたのだが…………。
扉を開けた私を待っていたのは、にっこりと笑った絳攸の顔だった。
私は仰天した。いつも仏頂面の絳攸が笑みを浮かべていることすら珍しいのに、小言の対象である私にむかってそんなことをしているなんて、奇跡としか言いようがない。
「どこへ行っていたんだ、楸瑛?」
二つの眼が私を捕らえる。捕らえて放さない。
そう、なぜか、初めて絳攸と会ったあの時を思い出す、あの可愛い雰囲気を纏って。
「水か?ああ、ありがとう楸瑛」
絳攸は両手にしっかりと椀をもって、まるで子供のように水を飲み干した。
少しずつ、でも確実に飲み下していく、小さく動く喉。
『ありがとう楸瑛』
そんな言葉、聞いたことがあったか?
私はおかわりを乞う絳攸を、思い切り抱きしめていた。
床に椀が転がってしまう。
「楸瑛。楸瑛……?」
「なんだい、絳攸」
絳攸の顔は私には見えない。けれど、なんだか恥じ入っているように見えた。
「………やっぱり、俺は、女は嫌いだ」
大嫌いだ、と繰り返す絳攸。
彼の言いたいことが分からないほど、私もバカではない。
「悪かった」
「いや、いい。ただ………」
「ただ、なんだ?」
私は訝しんで尋ねた。
「もう、あんなところにいくんじゃない」
その言葉が全てだった。
きっと、彼自身も気付いていなかっただろう。
私も、気付かなかった。否、気付いてあげられなかった。
でも、そのことで謝るつもりはない。私は悪いことをした覚えがないからだ。
「なるべく、な」
「なんだとぅ!?」
体を離した絳攸が私を見る。その顔は、酒のせいなのか、恥ずかしいからなのか、ほんのりと朱が混じっていた。
「たりないなら」
絳攸が呟く。本当に小さい声で。
「俺で満足すればいいだろう」
きっ、と私を睨む。
「君の身体が保たないとおもうがね」
「し、しるか」
私はもう一度絳攸を抱きしめる。
「今日の君の台詞は、とても私の心に響いたよ。出来れば、もう一度言ってほしいな」
「なっ………。…お…お前が、一番きれ……んっ」
初めての口づけは、かなり酒の匂いがした。


「楸瑛!!お前はまた女官どもを口説き落としまくっているのか!!」
府庫で暇を潰していると、怒鳴り散らしながら絳攸が入ってきた。
よくここが分かったものだ。
「また一人やめていったぞ!どうにかしろ!少しは慎め!」
「絳攸、少しは落ち着いたらどうだい?」
「落ち着いていられるか!ったく、お前はいつまで経っても…………!」
私は首をすくめて見せた。
「私は私の長所を最大限に利用しているだけだ。大体、君もそのクチだろう?」
ぎくっと、本当にぎくっと絳攸は半歩後退した。
彼が私に惚れているのはまぎれもない事実だったので、余計に反応が面白い。
みるみるうちに赤くなってきた絳攸を見て、私は笑みを深めた。
「おま、お前が、お前が全て悪い!!」
絳攸は激昂して府庫をでて行ってしまった。
「ああ、どうして君はそうなるんだろうね。私は君のことを少なからず想っているのに」
この前の蜜夜を思い出す。自分で「是」と言ったのに抵抗しまくったあげく、途中で眠りこけられたのだが、私は彼に「最後までやった」と嘘をついた。理由はもちろん、そのほうが面白いと思ったからだ。
相変わらず、絳攸のそんな子供のような感情の起伏がかわいらしい。
「絳攸、君は可愛いよ」
今にも、絳攸の怒鳴り声が聞こえてきそうだった。

私はバカだ。君に茶化した愛しか与えられない。
だから、私をバカだと呼んでいいのは君だけだよ、絳攸。

平和な午後に、私の溜息と絳攸の怒りはとどまることを知らない。

後書き

時期不明、そして絳攸の女嫌いの理由を適当に決めてしまいました。
続編でも、私は勝手な設定を絳攸につけてしまっています。
おかし〜な〜、こんなはずじゃなかったのに(汗 @空見

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