その想いはかの藍色に似て

愛してる………なんて、簡単に言えるものじゃない。
恥ずかしい? いや、そうではなくて、ただ、
なんだか、関係が安っぽい物になってしまいそうになるから………

+その想いはかの藍色に似て+

「また来ないのか、あいつは」
愛を語らうでもなく、夜を共にするわけでもなく………
ましてや、最近ろくに顔も合わせていない。
「……私のせい、なのか?」
彼──藍楸瑛は、不満と、同時に心配を隠せないでいた。
楸瑛は───とはいっても本人は認めていないが───女癖がかなり悪い。泣かせた女は数知れず、そして、足下にすがって泣き崩れる女達を全て蹴散らしてきたのが、この男だ。楸瑛の顔立ちや物腰、そして立ち振る舞いなど、どれをとっても優雅で美しいため、ころっと騙される(?)女が多いのだ。
彼の知らないところで、女官は次々と職を辞していく。
が、しかし。どういうわけか、楸瑛のことを好きだという「男」が存在した。
彼の名は李絳攸。吏部の侍郎であり、国試の最年少状元及第記録保持者という、お墨付きの秀才だ。オマケに、楸瑛に張り合うほど顔立ちもいい(とはいえ、種類は違うが)。
楸瑛も絳攸と同期の国試及第者だったが、国試の結果から見ても、現在の役職に上り詰めた彼の能力から見ても、絳攸はかなり上等な頭脳の持ち主と思えるのだが………
彼にはいくつか欠点があった。いや、欠点などどの人間にもあるのだが、絳攸の場合は特別である。
女嫌い、口下手、無愛想………そんな誰にでもありそうな欠点もあることにはある。しかし、彼の最大の欠点といえば、極度に至る方向音痴だろう。……地図を持ちつつも迷う、彼の頭脳が知りたい。
楸瑛は頭を抱えた。
(なぜ、私の想い人はあんな阿呆なんだ?)
絳攸の一番来やすいであろう府庫で、楸瑛はもう三時間ばかりぼんやりしている。
まさか、府庫への道すらも分からなくなったのであろうか。
楸瑛の溜息は今日も海よりも深い。

*     *     *

実際問題、絳攸は恥ずかしい気持ちで一杯だった。
府庫にいるであろう楸瑛を気にして、最近は部屋にこもりぎみだ。
まあ、一歩外へ出てしまえば、戻れる自信がないだけ、というのもあるのだが。
「大体、あいつが反省しようとしないからいけないんだッ」
相変わらず、幽霊じみたすすり泣きは止まらない。
年にふさわしくなく、絳攸は思いっきり頬をふくらませた。
そして考えれば考えるほど、楸瑛のあんなことや、こんなことが沢山頭の中に現れ出てくる。
思わず見とれてしまう笑みや、戦いに赴く前の冴え渡った横顔、怒った顔や……泣き顔は見たこと無いけれど。
なぜか、そんな他愛もないことを考えているときが、一番幸せなのだと絳攸は最近気付いた。その通り、絳攸の顔は次第ににやけていくのだ。
「……やっぱり、会いたい……かもな」
そう言えば、まだ楸瑛の返事を聞いていない。「あの時」は流されて大変なことになってしまったが、まだ、自分の気持ちひとつしか告白できていないのだった。
「でも………」
今まで、自分で思いっきり避けていた。恥ずかしいから───否、「怖い」から。
拒絶されたら、と思うと顔を見ることが出来ない。
「あの時」は彼の気まぐれだったのだと、思うのが辛かった。
もう一度、もう一度だけでいいから………
「あぁぁぁッ!何を考えているんだ俺はッ!?」
もう一度ということは、恥ずかしいことをもう一度ということで。
ストレートに想像してしまった絳攸は、そのあまりにも露骨な「もう一度」に一人赤面した。
「………静かにしなさい、絳攸」
頭から想像を追い出そうとして首をぶんぶんと振っていると、背後から冷たい言葉が浴びせられる。
絳攸が恐る恐る振り替えると、(自分は仕事をしないくせに)偉そうに茶をすすっている黎深の姿があった。
「れっ、黎深様、別に私はやましいことなど考えていませんよ!?」
「………ほう、やましいことを考えていたのか」
「っ……!」
冷たい一瞥が絳攸を貫く。
今更ながら、絳攸は自分が墓穴を掘ってしまったことに気付いた。
「まあいい。とりあえず、その辺の書簡は全て片づけておきなさい」
絳攸が改めて机の上を見てみると、書類の山、山、山。どうやら物思いにふけっている間、仕事が全くはかどらなかったものらしい。
「………今夜は帰しませんよ、絳攸?」
「は……はい……」
別の意味だったらもっと嬉しくなりそうな言葉だったのだが、この状況で、しかも黎深が言うとかなり背筋が冷たくなる。
(あぁ、何をやっていたんだ、俺は!……黎深様からの評価が下がったのではないか?ものっすごく)
深く反省(理由が不純だが)した絳攸はそれから、雑念を完璧に払いのけて、机に向かった。
黎深は、そんな絳攸を、どこか遠い目で眺め、そして何事か紙に書き付け始めた。


「も、もうダメかもしれない……」
絳攸は夜遅くまで仕事をしたあげく、こうして夜道に迷っていた。
どうしても楸瑛に会いたくなって、府庫に出かけてみたが、彼はとうにそこを出た後で、絳攸は仕方なく楸瑛を捜してふらふらと彷徨っていた。だが、それは絳攸には自殺行為に等しい。絳攸自身もそれは分かっているはずなのだが、仕事続きでよく物事をとらえることが出来なかったのと、先走りする想いで、もはや冷静ではなくなっていた。
「あいつ、どこへふらついてやがるんだ」
歩き続けて、足が重たくなってくる。
手も机に座って筆を持ちっぱなしだったために強ばって、ろくに動かすこともままならない。
「大体、黎深様が仕事をなさらないことがいけないのだ!」
自分で二人分(またはそれ以上)の仕事をする理由が分からない。
ぷりぷりと怒ったまま歩を進めていたため、絳攸はどんどん人気のないところへ足を向けていることに気付かなかった。
「どこだ、ここは……」
はっと気付けば、怪しげなところへ来ている。
楸瑛を追って妓楼へと足を向けたはずなのだが、少し違っている。もっとずっと寂れた感じだ。
「寒くなってきたな……」
まだ夏とはいえ、もう終わる頃合いだ。夜着を来ていない絳攸は少し肌寒さを感じていた。
その時、背後でざりっという土を踏む音がした。
「よう、にいちゃん。道にでも迷ったかい?」
いかにも、という怪しげな風貌の男が絳攸に歩み寄る。絳攸は警戒したが、もしかしたら自分の行きたい方向へ行くための最後のチャンスかと思い、相手の出を見ることにした。
………それが、間違いだった。
「眉間にシワ寄せると、綺麗な顔が台無しだぜ」
「何?……ぐっ!」
避ける間もなく、みぞおちに一発拳がたたきこまれる。痛さと、急所を心得た男の攻撃に絳攸はその場に膝をついた。
「どう見たって、良家のおぼっちゃまってカンジなのにさ、どうしてこんなところにいるんだ、え?またオレたちから税金だかなんだかって金を取る気か、このクソ貴族がッ」
頬をはたかれる。腹を殴られる。背中を蹴られる。男の攻撃は止まらなかった。
「げほっ……はぁ、……はッ」
絳攸の白い肌に、うっすらと痣が出来る頃、男は何を思ったか攻撃を止めた。
口の中を切った絳攸の口から、赤い鮮血が滴りおちる。仕事疲れとも相まって、絳攸は指一本動かすことが出来なかった。
「ふぅ、ちょっとスッキリしたぜ。あとは………オイ、野郎ども」
男が手をたたくと、数人の破落戸と思われる男達が姿を現す。いままで自分を殴っていたヤツはこいつらの頭なのかと絳攸は妙に冷静な頭で考えていた。それもそのはず、絳攸はこういうことには疎いのだ。よって、この後自分に降りかかる危険など微塵も分かってはいなかった。
「さぁて、楽しませてくれよ、綺麗な顔したにいちゃん」
集団で私刑(リンチ)されるのかと思っていた絳攸は、両手両足を押さえつけられ、そして服を破かれてからようやく相手の真意に気付いた。
そして、それはもう遅かった。
「や、やめろっ」
四肢の自由を奪われた絳攸の唯一の抵抗は、かすれた声で抗議することだけだった。
「だれもお前を可哀想だとは思っちゃいねえよ。逆に、嬉しいんじゃねえのか?オレたちをこんなシケたところに住まわせたあげくに、金を借りるにも高金利、割高な税金、病気になっても医者がいねえ……そんな生活を押しつけて、一人税金でのうのうと暮らしているてめぇたち貴族を、オレは絶対にゆるさねえ」
「お、俺は……っ」
声がかすれてうまく言葉が出てこない。
「あぁ!?うるせえよ、黙って俺の玩具になりやがれ!」
男達の下卑た笑い声と、悲痛な叫び声が辺りにこだました。

*     *     *

藍楸瑛は、自宅で届けられた文の整理をしていた。
「嬉しいね、こんなに恋文が」
にこにこしながら文の選別をしていると、見知った字の文を見つけた。
「これは、黎深殿から?」
珍しいことも、というか、黎深から文が届くなど、初めてだ。
楽しみというよりも………なんだか、怖い。
「い、一体、何の用だろうな」
ぺらり、と上質な紙を広げる。
楸瑛は黙って一読すると、そばにあった愛用の剣を手にとって飛び出していった。

───“あいつ”は酷い目に遭うかもしれんぞ。
   お前に逢いたくて死にそうだったからな。“あいつ”ならふらふらと何処かへ行きかねん。
   きっと、妓楼に向かっているはずだ。
   
楸瑛の手から放り出された文には、短くこう記されていた。

*     *     *

「あぁッ……!」
何も準備していない蕾へ、男の指が突き刺さる。普段なら人目に触れないはずのところに、鋭い痛みが走る。
なぜか、口からは喘ぎにも似た高い声が飛び出した。
「おいおい、貴族さんよぉ、宮廷では主上とよろしくやってたんじゃねえのか?」
「どうい…うッ、意味だ……」
「どういうって………へっ、こんな広がってんのにか?」
「ん、あぁ……ッ」
ぐるっと指が中を一周する。
そういえば、ずいぶんと指がするすると動く気がしないでもない。
心に、冷たい風が吹いた気がした。主上は男色家として有名だ。というわけは、自分も主上の夜のお供をしていると思われたということか。というより、していそうなのか。
「しゅ……えい……っ」
ずっと、独りきりで悩んでいた。
ずっと、意味のないことを考え続けてきたのかもしれない。
絳攸の瞳から涙がこぼれ落ちる。
もっと、もっと早く会いに行っていれば良かった。つまらない意地など張らなければ良かった。
(楸瑛……俺は……)
「おい、泣いたってなにしたって解放してやんねえぞ!」
「そん……ッ、動か…す…ぁっ、……やぁッ」
しかし、そんな思考も、男の激しいまでの攻めに奪い取られる。いつの間に本数が増やされたのか、体の中に感じる圧迫感が増えている。それに比例するように、蕾からは血が流れ落ちた。
「痛……ッ、い、ぁっ、うあぁ……!」
「テメェ、結構いい声で啼くじゃねえか、あぁ?」
「やめッ……ろぉ…、痛い…、痛ぁ……ッ」
絳攸の口から、哀願の言葉が漏れる。男はそんな様子に満足したのか、乱暴に指を引き抜いた。
「あッ……!……ぁ、はッ……」
もう、言葉も発することが出来ない。
「そろそろ本番でも良いよな」
このまま、犯されてしまうのか……
(助けてくれ……)
その後、殺されてしまうのか……
(助けてくれ………ッ)
「しゅ……ぇい、助……け…っ」
懸命に、言葉を絞り出す。だが、これが絳攸の限界だった。抵抗できずにいる絳攸を見て、男達がにやにやする。
怖い。
嫌だ。
必死に思うのは、彼が自分を助けに来てくれること。
涙と痛みで目の前がぼんやりとかすんで見える。薄れゆく意識の中で、そのぼんやりとした中に、絳攸は彼の姿を見た気がした。
絳攸は、そのまま意識を手放した。

*     *     *

冷たい大地に、一人裸で放り出されたようだった。
自分の名前すら思い出せない。暖かさの欠片もなく、凍え死にそうなほど寒い。
ふと、声が聞こえて、空を見上げる。震えながら。
(……ゆう)
吹雪に遮られて、その声は耳には届かない。
もっとよく聞こえるようにと、立ち上がる。
(……こうゆう……)
こう、ゆう……?
言葉を反芻すると、なぜか暖かく感じた。
こうゆう。
絳、攸。
思い出す。これは、この名は。
(……絳攸……)
絳攸は、自分の名を呼ぶ声に導かれるように、手を空に向かって伸ばした。


「……絳攸……」
何度も、何度も聞こえたこの声は、幾度も聞きたいと望んだ彼の声に間違いなかった。
「……絳攸……」
ゆっくりと、意識は覚醒していく。
伸ばした手に、温もりを感じた。
瞳を開く。目にとまった、彼の心配そうな顔に、絳攸の涙腺が一気に緩んだ。
「楸、瑛……っ、俺……ッ」
楸瑛は、微笑んで絳攸を抱きしめた。
「悪かった。助けに行くのが遅かった」
「そ…だ。遅い……ッ!」
「ははは、結構元気じゃないか」
楸瑛は腕をとき、絳攸の目に溜まった涙を払う。目の赤く晴れた絳攸が、楸瑛を軽く睨んだ。
「……絳攸、大丈夫なのか、その…」
楸瑛が少しだけ視線を泳がす。
そのせいで、絳攸は、つい数刻前の出来事を鮮明に思い出してしまう。
痛かったことも、恥ずかしかったことも、ものすごく怖かったこと。
(あんなの、楸瑛が相手でも堪らなかっただろうな)
「楸瑛。俺、少し誤解していたみたいだな。“あの時”本当は、何も……ッ」
楸瑛は、突然絳攸をきつく抱きしめた。驚きで言葉が止まってしまう。
「悪いのは私の方さ。騙していたのは私だからね」
「でも、俺は確認しようともしなかった」
「もういいさ。悪いのはお互い様だ」
楸瑛は優しく口づけた。口の端にこびり付いた血も、舐めとる。
口に広がる鉄の味が、絳攸の痛みと恐怖を彷彿とさせた。身体を洗ったはずだったが、それでも、血と土の匂いが消えないでいる気がする。
絳攸が少しだけ体を震わせた。夜に外で、しかも裸でずっといたのだから仕方がない。
「寒いのかい?」
含みを持たせて、楸瑛は耳元でささやいた。
「……ああ」
絳攸は真っ赤になって頷いた。
「私が君の身体を診てあげるよ。医者を呼ぶには及ばない……」
何も言う隙は与えないといわんばかりに、深く口づける。角度を変えながら、何度も、甘く、激しく。
「ん……、ふぅ……んッ、……は、ん……っ」
貪るような口づけに、絳攸の瞳から、一粒涙が流れた。
「あ……」
首筋に軽く口づけると、それだけで絳攸は身もだえる。
(………案外、絳攸は床が上手いのかも知れない)
楸瑛は潤んだ目で、それでいてどこか怯えるように見上げる絳攸の瞳を見てそう思った。
たびたび妓楼に出かけるのだが、ここまで視線に色気があるのを見るのは、胡蝶以来ではないだろうか。
焼けつくような欲情を感じる。本気で、欲しいと思った。
楸瑛の口が滑るように舌へと降りていく。文官らしく真白い肌によく映える赤い花弁を舌先でつつく。
「や、……ぁんッ」
かみしめられた歯の隙間から、絳攸の押し殺した喘ぎが漏れる。
そんな、初な反応が嬉しくて、楸瑛は指を動かす速度を速めた。長く綺麗に揃った指が絳攸の肌をかすめるように動いていく。
「は、ぁ……、しゅ、えい……ッ」
指を動かすたびに、絳攸の眉がきつくひそめられていく。何かを耐えているようにも見える。
楸瑛の指がふいに止まる。脇腹の辺りに、うっすらと痣が出来ているのをみつけたからだ。
「絳攸。止めてもいいんだよ……?」
痛々しいその痕は、紛れもなく先程の強姦騒ぎの時に出来たものだ。そして、その痕を付けるに至った原因のひとつに、自分がある………楸瑛は絳攸との仲を取り持たなかったことを酷く後悔していた。
そして、あの時の恐怖を思い起こせば、今、楸瑛はそれと同じことをしているのにも等しいことも分かるはずだ。
「……なぜ、だ?」
息を乱しつつ、絳攸は逆に聞いてきた。
「私のことを怒って、いるとか。先刻のことがまだ尾を引いている、とか………」
「ふん……余計な世話だ、バカ野郎。俺はお前だからこうして許してやっているんじゃないか」
絳攸は珍しく微笑んだ。……少しだけ赤くなって。
無愛想な絳攸のこの顔は、楸瑛しか知らない。
「俺は、お前のことを怒ってなどいない。むしろ、感謝しているさ。……一応助けてくれたわけだしな。だから、その、遠慮……はしなくていいと思う」
ふい、と絳攸はそっぽをむいた。
そんな反応を見ると、無性に、楸瑛は嬉しくなってきた。絳攸のこういう子供のようなところが可愛くてたまらなく好きだ。
「絳攸、今物凄いこと言ったんだよ?……絳攸は可愛くていい」
「なんだそれは!男に向かって可愛いとは何事だ!」
絳攸の顔が楸瑛の方へ向いたのをいいことに、楸瑛はもう一度深く口づけた。
「怖がらなくていいんだよ。………私なら平気さ」
「………」
絳攸は無言で、でも少しだけ頷く。覚悟は出来ているらしかった。
「じゃあ、続きだな」
もう一度、楸瑛の指が絳攸へと伸びていく。
まっすぐ、人の目に触れること無い場所へと。
「……あぁ…、あ…っ」
絳攸の口から、熱に浮かされた喘ぎが逃げていく。
少し楸瑛には引っかかることがあったのだが、二人の今度こそ本当の蜜夜は甘く、とろけるようにゆっくりと過ぎ去っていく。

「………好きだよ、絳攸」
「楸、瑛……俺も………」

吐息と共に、とめどない熱情と共に、二人は愛の告白をした。
絡まり合う指先は、未来を誓った。

二人は繋がり合う、と。


後書き

ヤバイよね。
っていうか、血が出ていたところに突っ込んで痛くなかったのか、絳攸!?(オイ
まあ、苦情は絳攸のみ受け付けています(笑  @空見

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