世界で一番

朝は早い。
常に命ねらわれている俺は、いや俺たちは、日が高くなるまで悠長に眠りこけているわけにはいかないのだ。
「おう、早いな、斗宿」
少し肌寒いのか、女宿がたき火を起こそうとしていた。
「お前の方が早いだろう。珍しいな、お前がたき火など……」
「まあな。……他の奴等は?まだ寝てんのか?」
女宿の言葉に、俺はさっき見てきた爆睡するふたつの影を思い出した。
「ああ。困ったものだな、もう少し自覚を持って欲しいのだが」
「だよな。虚宿のお子さまぶりも、呆れたもんだぜ」
室宿も子供か、と自分で笑い、女宿はまたたき火を起こすのに専念し始めた。
溜息をつくと、俺も女宿の近くに座り込む。
別に、寒いと感じたわけではないが。
「巫女は?」
「寝かしといてやろうぜ。長旅で疲れてんだろ」
「そうだな」
どうやら、愚問だったようだ。
女宿は、俺たちと一緒に居るときには表に出さないが、心の中では巫女を特別な存在としているのだろう。最近、巫女と女宿の中がよそよそしいのは、この辺りに原因があるに違いない。
たき火が、ぱちぱちとはぜる、まだ少し早いかもしれんが、そろそろ虚宿達を起こしてもいいのではないだろうか。
「女宿。俺はあいつらを起こしてくる」
「あ?ああ。そうしてくれ。………ったく、少しくらい七星士らしくしろっつんだよ……。でも、多喜子はオレが……。いや、でも七星士は巫女を……」
後ろで何やら女宿がブツブツ言っていたが、聞かなかったことにして、俺は虚宿達が寝ていた方へと歩き出した。


「みんな、起きているか」
俺がそこに着いたとき、ちょうど室宿が目覚めようとしていた。
はねている髪の毛を手で直しながら、室宿は寝ぼけ眼で俺を見つめた。
「お、おはよう……ございます、ひ、斗宿ふぁ…ん」
言葉が終わらないうちに、室宿はあくびをした。これが普通の家庭ならば、微笑ましくも可愛いことになるのだろうが、今は命を狙われている身。
「しゃきっとしろ、室宿」
「ご、ごご、ごめんなさいっ……、あ、あの、ボク顔を、あ、洗ってきます」
おろおろとする室宿を見ていると、俺は思わず毒気を抜かれてしまった。
川の方へ小走りで去っていく室宿の小さな後ろ姿を見て、溜息をつくと、俺は今日一番の厄介者の方へと向き直った。
「ん……んん…」
満足げな顔からして、さぞかし心地よい夢を見ているのだろう。
が。
「……さっさと起きろ」
もう朝日も空高くで照ってきた頃だ。そのうち巫女も目を覚ますだろう。
「起きろ!」
大きく体を揺すぶってみるが、虚宿の平和な寝息を乱すことはなかった。
七星士がこんな時間まで寝ていたとあっては、恥だ……!
「どうしても起きたくないというのか」
「ん……、すう……」
「───まったく」
虚宿と対していると、溜息が自然に口から出てくる。
昔からそうだ。何かと、こいつは子供のようなところがある。わがままを言ってみたり、そうかといえば、無邪気に笑って見せたり…………。

いつのまにか、俺は幼いこいつに惹かれていた。

泣き虫で、よく駄々をこねる奴だ。だが、その反面、心が広くて無邪気なところがある。きっと、俺はそこに好意を持ってしまったのだと、思う。
この想いを、虚宿に伝えたことはない。
言葉にしてしまえば、この想いが薄っぺらな物に変わってしまう気がしたからだ。一言、たった一言でこの想いを表現することは出来ない。
だが、虚宿がどう思っていようとも、俺が虚宿を好いていることには変わりない。
だから、つい、寝ている虚宿をそっとしておきたくなってしまうのだが。
「虚宿」
小さく名前を呼ぶと、少しだけ虚宿が反応したような気がしたが、考え過ぎだったのか、虚宿が起きることはなかった。
「…………」
俺はいつの間にか、ある一点に目を奪われていた。
………虚宿の、唇に。
「虚宿……」
それと、自らのそれを重ねてみたい……。そんな衝動に駆られてやまない。
心臓の音が、自分の耳に届いているような気がする。
虚宿は気持ちよく寝ている……。今なら、今なら。
そっと、虚宿の顔に自分の顔を近づけてみる。
鼻息が顔にかかるくらいに近づいたところで、俺は動きを止めた。
俺の……、気持ちの、押しつけではないかと心配して。
俺は、虚宿のことが……。でも、虚宿は俺のことをどう思って……

「……ったく、どっちなんだよ」

虚宿の唇が動いたと思った瞬間
「んっ……!」
俺の唇は、虚宿のそれに、押しつけられていた。
俺の後頭部が何者かの手によって、押さえつけられている。どうやら、無理矢理口づけさせられたものらしい。
いや、そうではなくて。……俺は、何を?
「虚宿、いつから起きていた……?」
目の前には虚宿の顔があった。見ようによっては憎たらしく見える、満面の笑顔で。
「お前が、一番最初にオレの名前呼んだときから」
本来ならば、怒るべきところなのだが、なぜか頭が混乱して思考を上手くまとめることが出来なかった。
「なんだよ」
俺が何も言わずにただ虚宿を見つめているだけなのが、癪に障ったのか、虚宿の笑顔がむったした表情に変わった。
なぜ、虚宿はあんな事を……?
「……さあ、悪ふざけはしまいだ。起きろ」
顔を離す。だが、虚宿の手は思ったより強く俺の頭を捕らえていて、あまり遠くまで離れることが出来ない。
「悪ふざけ、ね……」
虚宿が呟く。
俺はまずいことを言ってしまったと思った。しかし、言ってしまった手前言い直すことが出来なくて、虚宿の手を無理矢理払うと、立ち上がろうとした……
「斗宿!」
「うわっ」
が、背中に痛みが走って、その瞬間俺は仰向けに地面に転がっていた。
俺の上には、虚宿が覆い被さっている。
「斗宿。お前、さっきのさ、“悪ふざけ”だと思ってんのかよ」
「それは……」
俺を見つめる虚宿の瞳は、真面目で、でも少しだけ怒りの色があった。
「“悪ふざけ”であんなことするのかよ、お前って」
「違う、あれは……ん……ッ!」
虚宿は、再び俺の唇を奪った。何も喋ることが出来なくて、何も、考えることが出来なくて……。俺はされるがまま、虚宿の暖かい唇をただ感じていた。
「何で、抵抗しないんだよ」
唇を離した虚宿が、俺に問う。何で……それは……
それは……。
昔から、俺にはないものを持っている虚宿が、ずっと羨ましかった。
無邪気で、素直で、大らかで……、そんな、包み込むような優しさを持った虚宿を、ずっと、好きだった。
ずっと、愛していた───
「──き、だから……」
「は?」
「好きだからに、決まっているだろう」
虚宿に、こんな形で想いをぶつけることになるとは思わなかった。
でも、恥ずかしいことを言ったのには……変わりない……。
…………顔が、熱い。
きょとんとした目で、俺を見つめていた虚宿だったが、何を思ったのか、突然大声で笑い出した。
「はは……、そうかよ……。そうだったのかよ」
「何がおかしい」
虚宿はにこりと笑って、俺を見つめた。
俺の一番好きな、無邪気な、幼い……あの笑顔で。
「悪い。気付かなくて……。気付いてたら、もっと早くにこうしてたのに」
虚宿が俺の髪の毛を手ですき始める。
「……オレ、昔からお前が目標だった。強くて、格好良くて……、全部、オレにはなかったから。今でも、それは変わらない。でもさ、今分かったんだよ。オレと斗宿、いつのまにか、同じ視線で互いを見てたんだな……って、さ」
「同じ視線……」
「そ。相手を信じ、愛しく思う気持ちはオレも、お前も変わらない。だろ?」
それは、お互いに相手を思い合う気持ちだと、言うのか。
では、虚宿も俺のことを……?
「久しぶりにあったお前は、すごく成長していた。驚いたものだったが、俺は、その後ではっきりと気付いた。……虚宿、お前をずっと、愛していたと」
「オレも……」
虚宿は頭をかくと、誤魔化すように俺を抱きしめた。
「と、虚宿……?」
「オレ、舌がたりないから、上手く言えねえけど

 これだけは言っとく。
 ……好きだ。お前のことが」


その言葉は、ゆっくりと耳から頭へと伝わっていき、感動が溜息となって肺から押し出されてきた。その時間を、俺はひどく長く感じた。
“好き”その言葉を、俺はどんな相手より、虚宿の口から聞きたいと望んできた。そして、今、その願いが、叶った。
「虚宿……」
もう、言葉なんか必要ではなくなっていた。
そこにあるのは、確かな虚宿の腕の感触と、さっき感じた虚宿の唇の感触。
そして、耳に残っている

……好きだ。

たった三文字だけれど。
この世で一番上等な言葉に違いない。

「斗宿……」

そして、今交わされているこの口づけも。世界で一番上等に違いなかった。

お前が一番、好きだよ

耳元で、虚宿のささやく声が聞こえる。

…………俺も、世界で一番お前のことを、愛している


この想いは、空中で絡み合って、他では感じられない嬉しさとなって溶けていった。

世界で一番の、幸せ………

Fin


後書き

ちょっとだけ、リバを目指して見ました。
でも、やっぱり虚宿は受けくさいです。どうしてなんだろう? @空見
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