一つの手に半分の心をのせて

 今日も、居場所は部屋の隅だった。
 自らの膝を抱き、俯いて。
 虚しくて、虚しくて、それでも。
 それでも、悲しくはなかった。

 窓から照らす夕日の紅い光が、遮られて、自分の身体に人の形をした影がかかる。
「……帰るぞ」
「はい」

 なぜなら、両手を伸ばせば、引き上げて助け起こしてくれる人がいたから。


+一つの手に、半分の心をのせて+


「ねえ、絳攸。……ちょっと手を貸してくれないかな」
 へたりこんだ馬鹿を横目に、俺は今日何度目か知れない溜息をついた。
「何度も言わせるな。立ち上がるなら自分でしろ」
 女の一人や二人に逃げられたくらいで、何と根性のない。しかも、ここは街のど真ん中だ。藍将軍ともあろうものが往来で地べたに腰を下ろして良いものだろうか。
 俺が断ると、楸瑛はまるでその辺の子供のようにふくれっ面になった。
 ……ちょっと、こうするとひどく幼く見えるのが不思議だ。俺よりも年上な事が信じられなくなる。
「えー、だって、……」
「何が“えー”だ! 女のような声を出すな気色悪い!!」
 本気で気味悪い。二十代の半分を過ぎた男が、こんな猫なで声を出したら、誰だって鳥肌がたつだろう。
 それも、これも、先程のあの事件の所為だ。

『信じられない! この、節操なし!!』
『いや、そういうわけじゃなくて……』
『浮気なんか…浮気なんかして…! しかも、しかも……』
『君は世界で、……二番目に愛しているから』

パァン!

 でも、先程女に怒鳴られて頬を張られたときのこいつの顔は見物だった。それがあまりにも情けなくて、俺は死ぬかと思うほど笑ってしまった。二番目と称していたことも、悪い気はしなかった(きっと全世界の女性の殆どは二番目となるに違いない)。
 こいつは、酷い、とか何とか言って地べたにへたり込んだが、俺としては何も悪いことはしていないので、遠慮無くざまあみろと思った。街中で、いきなり俺を口説こうとするから悪い。きっと、俺の腰に手を回して口付けようとした瞬間を例の女に見られていたのだ。
「私は、ちゃんと誰でも愛しているんだけどねえ……」
 あの女ではないが、はり倒したくなってきた。
 その甲斐性無くて、節操なくて、薄情なお前のせいで、一体何人の女が泣いてきたと言うんだ! そのせいで、ばたばたと辞めていく女官の管理をしている、俺たち吏部の官吏はいつでも残業三昧だというのに!!
「ふざけるな。貴様みたいな常春は、大陸中の女にはり倒されるべきだな」
「何で、……何で、今日はそんなに冷たいのか教えて欲しいね」
「なら、なぜ貴様は今日に限ってそんな女々しい」
「さあね」
「なら、俺も問いに答えてやる。“さあな”」
 街路樹に背中を預けて、楸瑛はくっくと笑った。そしてそのまま大爆笑する。
「どうした、ついに脳の芯から春になったか」
 俺が睨み付けてやると、楸瑛は、笑みを消して両手を差し出した。
「引っ張り上げてよ、絳攸」
 その瞳が、少しだけか弱く揺れる。
 ふん、馬鹿が。そんな捨てられた子犬みたいな面して縋られても誰が引っ張り上げてなぞやるものか。
 俺の手は、両手ともあの人のためにあるのに、なぜ貴様なぞに使ってやらなければならないのだ。
「生憎だが、もう先約があるのでな。手は貸せん」
 俺が踵を返すと、楸瑛は珍しく焦った声で、待って、と俺を呼んだ。
「じゃあ、片手で良いから」
「“じゃあ”ってなんだ」
 俺が思わず振り返って睨み付けると、楸瑛は本気で泣き落としにかかったらしく、さらにすがりついてきた。
 なぜか、その姿に、かつての自分の姿がよみがえる。
 いつもひとりで、それでも虚しさばかりで不安はなかった、あの頃の。
 俺は楸瑛に近づいた。
 あの時は、自分に余裕が無くて、必死で差し出された手を両手で掴んだ。放されまいとして、本気で握りしめた。いつでも後ろから追いつけるように、離れないように、その手を放しはしなかった。
 俺は自分の手を見つめる。細くて、少し墨に汚れた、こいつのそれと比べると頼りない、掌。
 今なら、昔よりも少しは自分のことを考える余裕が出来ただろうか。手を放して、少し早歩きのあの人に追いついていけるのだろうか。
 苦笑が漏れた。俺ももう成人した大人だ。いい加減親の手くらい放さなければ。
「ほら、帰るぞ楸瑛」
 俺は左手を差し出す。楸瑛は嬉しそうに微笑んで、俺の手を取った。そして……
「なっ……!」
 俺は逆に引っ張られて楸瑛の胸の上に倒れ込んだ。
 胸の厚みと、鼓動と、熱がやけに強く感じられる。心拍数が上がっていく。
「無理しなくても良いのに」
「してない」
 楸瑛は、握った俺の左手をさらに強く握りしめる。
「手を放したら、また迷ってしまうかも知れないよ?」
 そうだな。
 今までの俺だったら、あの人の手を放したら、きっとどこでも無いところをさまよい歩くことになるだろうと恐怖していた。
 光のない土地で、あの人だけが俺の光だったのだから。
 でも、今は、
「……だから、“片手”だ。お前、俺を見つけると約束しただろうが」
 あの人は例えるなら何もない空間に一筋の光の道を創り出す、決して優しくはないけれども、冷たくもない手。
 それに対して、こいつは、その道から足を踏み外しそうになったときに、引っ張ってくれる強くて温かい手。
「ああ、言ったよ。迷った君は、必ず私が見つけるからね」
 いつでもあの人は俺に背を向けているから、後ろの事なんて気にしてはいないんだ。
 きっと、俺が知らない間に落っこちていても、気付きもしないんだ。
 落ちたくはない。いつか、絶対あの人に追いついてみせるから。
「お前が引っ張ってくれるから、俺は迷わないで済むんだ。でも、俺はお前のように沢山手は持っていない。せいぜいこの両手の二本が限度だ」
 左手に視線を落とす。そして、そっと持ち上げると、楸瑛の手の甲に優しく口づける。
「あの人の手を放すことは出来ない。だけど、お前の手が俺を迷わないように導いてくれるのなら、あの人の手を半分だけ放して、俺はお前にその半分をやろう」
 手を、半分にして。
 ついでに心も、半分にして。
「君を迷わせたりなんか、決してしないと改めて約束するよ。私が、一緒に歩いてあげるから」
 逞しい胸に顔を埋める。衣にたきしめた香の香りが鼻をくすぐる。ああ、やっぱりこいつだ、と実感する。
「いつでも、お前を見限れるぞ」
「それでも、私は君を離したりしないよ」
 甘く囁かれて、俺は顔が赤くなるのを感じながら、ふん、とうそぶいた。
「その台詞、さっきの女に言ってやるべきだったな」
「心配しなくても、君以外にこんなことは言わないよ?」
「誰が、心配など…!!」
 俺が激昂しかかって顔を上げると、そこには、さっきの縋るような視線をした子犬がいた。
 拾ってあげたい、そんな衝動に駆られる子犬が。
 昔の俺も、こんな面をしていたのだろうか。
 俺は腕をふりほどいて立ち上がると、もう一度左手を差し出した。
「……帰るぞ」
 口から出たのは、いつだかの記憶と全く同じ台詞。違うのは、差し出される手の本数が半分になっていることか。
「ほら、さっさとしろ」
 楸瑛の手が、俺の左手に優しく触れる。ひらり、と身軽な動作で楸瑛は立ち上がった。
「貴様、殆ど俺の手に重心をかけずに立てるじゃないか。わざわざ俺の手を使わずともよかっただろう!」
 ちょっと悔しくてそう言うと、楸瑛は優雅に微笑んで、
「だって、大事な姫君の手に傷でも出来たら大変だろう?」
 と俺の手の甲に口づけた。意趣返しのつもりだろうか。
 俺は薄く笑ってみせる。あの女も可哀想に、残念ながらこの男は男である俺に首っ丈なのだ。
「さあ、俺を導け。ちら、とでも迷った素振りを見せたら承知しないからな」
 彼は、仰せのままに、と恭しく礼をし、そして手を繋いだまま歩き出した。
 きっと、こうやってこいつはこれからも俺を正しい道へと導いてくれるんだろう。
 そのかわり、俺も手を差し出さなくてはならない。
「今日は、私の邸に来るかい?」
「なら、酒の肴を買っていこう。さっきの女の話、たっぷりと聞いてやる」
「……あれ、忘れたんだと思ったのに」
「普段ならな。何しろお前の浮き名は星くらいあるからな、把握が大変だ。……しかし、今日のは面白かったな、お前でもあんな事になるんだな」
 いいだろう、いつでも差し出してやろう。
「あ、また笑っているし……。もう、いいだろう? 私だって、ああなるとは思わなかったんだから」
「それは、俺だって同じだ。……因みに、お前の“一番”は誰なんだ?」
「その話も含めて、私の邸でゆっくりと教えてあげるよ」
 小さく、そして優しく口付けを落とすお前へ、一つの手に半分の心をのせて。

後書き

私の中で、絳攸がどんどん誘い受になっていってるんですよ。しかも二股(え
そして、藍サマは、乙女思考に。可愛く描いているつもりです、いかがでしょう、、、
楸瑛×絳攸→黎深 が私のFavorite!(笑          @空見

追記。拍手でリンク切れ教えてくださった方、本当にありがとうございました;;

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