今日も昼過ぎに陛下に呼ばれて、私室へ行く。
そこには、待ち構えていたようにメイドたちが既にいるのだ。
そして、彼に一本の手綱を渡す。
+ただいまと言える場所+
自由奔放な奴というのは、時に他を苦しめるのではないだろうか。
彼──ガイは、自分の意思とは無関係に走らされている現状を思って嘆息する。
原因は、紛れも無くこの目の前を元気に暴れ回っているブウサギだ。
「あ、っこら! 勝手に、店の中を……あさるなっ」
ドアが開け放しになっていた店の中へ、勝手に飛び込んでいき、その自慢の鼻と体格で店を駆けずり回る。はた迷惑この上ない。
焦って手綱を手繰り寄せるが、ブウサギは頑として店内から出て来ようとしない。
それどころか、食べ物を勝手に食べようとまでしている。
「おい、頼むから、っ……出て来いよ! ……あ、すみません、すぐに出しますからっ」
全身を使ってブウサギに抵抗しながら、ガイは汗を浮かべて店主に謝る。
しかし、店主はにこにこしながらブウサギの食べっぷりを眺めて、首を横に振った。
「いやいや、とんでもない。しかし、さすが陛下のご寵愛を受けているだけあって、見事な食べっぷりですな」
にこにこしている場合なのか、この状況は。
このままだと店内の食べ物は全てこいつによって食い尽くされてしまうぞ。
しかし、妙なところでピオニー陛下の人気ぶりが伺えた。まるで自分のことのように嬉しく感じるが、だが、こればっかりはこっちもにこにこしてはいられない。いくら陛下のペットだからといっても、他人の店の商品を食べあさっていいわけがない。
あはは、と愛想笑いを浮かべながら、ガイは食べ物に夢中なブウサギを後ろから羽交い絞めにすると、その巨体を抱え上げたまま店を猛然と後にした。ははは、と店主の高らかな笑い声が後ろから追いかけてくる。……後で、きちんと代金は払っておこう。
店から遠く離れたところで、ブウサギを開放する。そもそも、この散歩はブウサギの運動不足解消のためではなかったのか。散歩に付き合っているこっちの方がシェイプアップされそうだ。
「ほら、そろそろ帰るぞ」
ぶぅ。
ガイの言葉に応えるように聞こえた気の抜ける鳴き声に、はぁ、とため息をつく。ブウサギのゆったりとした歩みは(腹が一杯なだけなのかもしれないが)一応は王族らしく堂々として見えるのだが、どうもこの間抜けな鳴き声と容貌のせいでしっくり来ない。いつか陛下になぜブウサギなのかと尋ねたい気持ちはある のだが、そうすると長い間ブウサギについて語られてしまうような気がして怖い。
ふと、歩みを止めてブウサギを眺めてみた。
見た目を簡単に言うと、耳の長いブタだ。しかし、普通のブタと比べて鼻が丸い。面立ちも可愛らしく、特に眼なんかはつぶらでとても可愛い。だが……
ぶぅ、ぶひっ。
この鳴き声をなんとかしてもらえないだろうか。
この鳴き声と体臭と食欲が激しいブウサギを6匹も飼っていて、よく陛下は平気だな、とガイは思ったが、即座にそれを否定した。そうだ。世話は陛下じゃなくて俺たちがやってるんじゃないか。
ははは、と人のいい笑顔でブウサギの世話を頼んできたピオニー陛下の顔を思い浮かべて、ガイは苦笑した。
遠く、グランコクマを取り巻くように流れ落ちている滝の音が聞こえる。すぐそばでは、人々の笑い声が聞こえる。
全く、平和になっちまったもんだ、とガイは笑みを浮かべた。
ルークや、他の仲間たちと、世界の平和のために戦ってきたことが、まるで嘘のように世界は平穏を取り戻している。預言は無くなってしまったが、それを跳ね返す生命力が人には存在していた。ピオニー陛下は、それを分かっていたに違いない。
宮殿へと続く道を警護している兵士に、軽く会釈すると、マルクト軍特有の右手の人差し指を額に触れるようにする敬礼が帰ってきた。昔は屋敷で見慣れていたこの敬礼も、長い間キムラスカで生活していた身としては少し違和感を持つようになってしまっていた。
大きな橋を渡り終えると、ガイの目に散歩の終着点である宮殿が見えてきた。バチカルにあったものと比べると、いかつい城というよりは、巨大すぎる屋敷かホールにしか見えないが、それもきっとピオニー陛下による設計なのだと思う。
ここまで来ると、貴族院に所属している貴族たちの姿が見えるようになってくる。宮殿の一部が貴族院なことからこの宮殿前広場には貴族が多い。
かく言うガイもその貴族なのだから、ここに居てもなんらおかしくはないのだが、彼はいつもここへ来ると疎外感を感じていた。
少し前に、通りかかった一人の貴族に、お前はマルクト貴族としての誇りがあるのか、と聞かれて応えられなかった自分に気付いてしまったからだ。
陛下のお言葉に甘えてグランコクマに住まわせてもらっているが、どうしてもルークと一緒に過ごしたあの屋敷のことが頭から離れない。
暗くなりがちな思考を振り払おうと目を上げると、すぐそばに居たはずのブウサギの姿が無いことに気付いた。ぼーっとしていて、手綱を放してしまったらしい。
ブウサギの足はそう速くないので遠くへは行っていないだろうが、それでも見失ったら大変だ。
「すみません、ブウサギがここを通ったと思うのですが、どちらへ行ったかご存知ありませんか?」
丁度通りかかった貴族と思わしき女性に話し掛ける。あの図体なら、何処に居ても誰かが目撃しているだろう。自分が女性恐怖症であることを自覚していながらも、女性に話し掛けてしまう辺り、自分もたいがいかわいそうだな、とガイは内心思った。それでも、女性は美しいのだから、仕方が無い。
「ああ……、あちらへ、向かったようでしたわ」
ちら、とその方向へ視線を投げた女性は、そのまま会釈もそこそこに歩み去っていってしまった。
参ったな、と頭の後ろを手でかく。
やはり自分は余り歓迎されていないようだ。ヘンな噂でも立っているのだろうか、最近は貴族院に顔を出しても話し掛けてくれる貴族が少なくなっていた。
陛下があんなに懐の広いお方だというのに、どうだ、この心の狭さは。
愚痴を言いたくなってきたガイは、愚痴を言う相手を得るために、先程の女性が示してくれた方向へ向かって走り出した。
「見つけた!」
ほどなくして、ガイは軍本部の入り口近くで居眠りしているブウサギを発見した。
こっちは全力で探していたというのに、のんきなものである。
「すみませんでした」
「いえ、支障ありませんでしたので」
ブウサギを抱き上げながら謝ると、入り口に立っている門兵はにこりと笑って首を横に振った。
そういえば、今日は謝ってばかりな気がする。
お前のせいだぞ、と腕の中のブウサギを軽く小突くと、ブウサギは鼻を鳴らしただけで、すうすうと気持ちよさそうに寝入っている。
その寝顔が可愛くて、思わずガイは笑みを零してしまう。ブウサギも、案外可愛いものなのかもしれない。
ブウサギを抱えたまま、広場近くの噴水の淵に腰掛ける。今は、この重みと温もりが愛おしい。
ふと空を見上げれば、滝によって生み出される霧に太陽光が反射して綺麗な虹が出来ていた。本当に、グランコクマは美しい都だ。
「なあ、俺の故郷ってどこだと思う?」
答えは無かった。
相手が眠っているから……否、答えをまだ見つけられていないから。
「俺、きっとファブレ公爵のお屋敷に行ってもメただいまモって言っちゃう気がするんだよな。変だよな」
水に反射した光を浴びてつやつやと輝く毛並みを撫でる。
「俺は正真正銘マルクトの人間なんだぜ。……、もう、今となっちゃどっちか分かんねえけどな」
ホドで生まれて、バチカルで育った。そして、今はグランコクマに住んでいる。
ここに住んでいること自体は嫌じゃない。むしろ、すごく嬉しい。
優しい国王と、美しい街と、楽しい住民に囲まれて。
それに、何より……
「ジェイドが、いるから……か」
ここには、彼が住んでいる。
「なあ、ジェイド」
愛しい彼と同じ名前のブウサギに呼びかける。
「お前のおかげで、俺はここにいられるよ。……ありがとな」
ぎゅっと抱きしめると、寝心地が悪いのかブウサギは身悶えた。抗議するように聞こえてくるあの気の抜ける声も、今なら愛しく思える。ウサギのように長い耳にそっと口を近づけると、いろんな思いを全て込めて囁いた。
「愛してる、ジェイド」
「私もですよ、ガイ」
ぶう。
うわっ、とガイは噴水の中へ仰け反り落ちそうになった。
二つも同時にジェイドの声を聴くことになるなんて。
いまさらだが、自分の言った言葉が恥ずかしくて、ガイは顔を真っ赤に染めた。
「ジェ、…ジェイド!? いつ、から……」
「もちろん、初めからに決まっているじゃありませんか」
余りにもあなたが情熱的でしたので私もつい興奮してしまいました、とジェイドは身をくねらせた。
頭が真っ白になっているガイは、そんなジェイドに突っ込む気すら起きなかった。
「ガイ?」
覗きこんでくる視線が、ガイをますます赤くさせる。
口をパクパクさせているガイを、優しい目で見つめると、ジェイドはガイの隣へ腰をおろした。
「ガイ、私はあの時あなたをガイラルディアと呼びました。カースロットのこともありましたし、ここではっきりさせておくべきだと思ったんです。ルークのためにも、あなたのためにもね」
ジェイドの手が、ガイの頭を優しく撫でる。さっき、ガイがブウサギにしていたように、優しく。
「あなたは真実ホドの領主ガルディオス伯爵家の嫡男で、マルクトの血を引く貴族です。私も、ケテルブルクのバルフォア家で生まれはしましたが、今はカーティス家の一員としてここに住んでいます。……名が変わって、何か変わりますか? 住むところが変わって何か変わりますか?」
うつむくガイの肩を、ジェイドは優しく引き寄せた。
「私は、そんなことでは何も変わらなかった。今でも、ネフリーに会いに行く時には、ただいま、と言いますよ」
「……俺は、…」
一体どこでただいまと言えるのだろうか。身体の震えが止まらない。
「ガイ、人を変えることが出来るのは、人だけです。私を変えたのは、名でも場所でもなく、ピオニー陛下ですし」
そしてあなたも、とジェイドは正面からガイを抱きしめた。
ガイの膝の上という良い寝場所を奪われたブウサギは転がり落ちてしまった。
「ジェイド、ブウサギが……」
「全く、あなたは私とそのブウサギのどちらを愛しているのですか。……このブウサギもメジェイドモというのでしょう?」
拗ねたような口調で耳元で囁かれて、ガイは苦笑した。
ジェイドは、暗に先程のガイの告白のことを言っているのだ。確かに、ガイはブウサギに向かって愛していると伝えたが、それは、ただ単に本人には気恥ずかしくて言えないというだけなのに。それに、ジェイドはそれくらい分かっているはずだ。分かっていて言うなんて、意地の悪い奴だ。
「そんなの……」
「ほら、言って下さい。どうなんです?」
一瞬、ブウサギだ、と言ってしまおうかと思った。そうしたら、こいつはどんな顔をするだろうか。
そう思ったら、なぜか緊張がほぐれて、笑い出したいくらい気分が浮上した。
「お前を好きになるなんていう物好きは、俺一人くらいだろ?」
「合格です」
嬉しげな笑みを浮かべるジェイドの唇に、ガイはゆっくりと自分のそれを重ね合わせた。
+++
ブウサギを無事宮殿に送り届けて、ガイは家路に着いた。
ジェイドは仕事の最中に抜け出してきていたらしく、すぐに帰ることになってしまったが、二人はかわりに夜の逢瀬の約束をした。場所はガイの屋敷だ。
急いで機械に埋もれた部屋を片付けて、風呂を沸かして、ジェイドの好きなカレーを用意して。過去のことと、自らも使用人みたいなものだからという理由から使用人を雇っていないので、全て自分でするのだが、それが、なんだか夫を待つ妻みたいで少し笑えた。
そうこうしているうちに、もう日が沈みそうになっている。
闇に包まれていく町並みを見ているうちに、再び昼頃の悩みが思い返されてきた。
ただいまと言える場所は何処なのか、結局、明確にはつかめていない。
あの時、グランコクマの宿屋の一室で自分の過去を明かした時からずっとそれを考えていた。
エルドラントで自分の家を見たとき、…色々な思いが駆け巡って涙が出そうになった。
ホドの屋敷はただいまと言える場所だった。
それが無くなってしまった今、一体どこでただいまと言えばいい?
ルークと一緒に過ごしたバチカルの屋敷はただいまと言える場所なのだろうか。
今住んでいるグランコクマの屋敷はただいまと言える場所なのだろうか。
ふいに、扉をノックする音が聞こえて、ガイは弾かれるようにして立ち上がった。考え事をしているうちに、日が沈んでしまったようだ。ジェイドかもしれない。
「今行く! ちょっと待っててくれ」
急いで扉を開けると、やっぱりそこにはゆったりと微笑んだジェイドが立っていた。
「遅れてしまってすみません、もう夕飯というには遅い時間になってしまいましたね」
「いや、いいんだ。俺もまだ食べてないし」
「ん? この匂いは……カレーですね」
益々笑みを大きくしたジェイドを見て、カレーにして良かったとガイは心底思った。
「ああ、作ってみた。食べるだろ?」
「もちろん」
ジェイドを招きいれ、扉を閉めようとした瞬間に、唇を奪われた。
あまりの早業に、ガイが呆けていると、ジェイドは悪びれもせず、ガイの手料理は久しぶりですね、と笑った。
こいつ、と思うのと同時に、キスを味わう暇も無かったことを残念がっている自分は、相当ジェイドに惚れているな、と思う。
もっとこいつの笑顔が見たい、そう考えてしまうのだから。
夕食というにはやはり遅く、夜食と言えそうではあったものの、食事の時間は楽しく過ぎていった。
ガイの作ったカレーも、使用人無しで自炊してきたせいか、好評だった。おいしいです、と言ったジェイドの笑顔がとても嬉しかった。次は、マーボカレーに挑戦してみようか。
「なあ、ジェイド」
食事の後片付けも終わり、二人はワインを口にしている。
深紅の液体を飲むでもなく、じっと眺めながら、ガイが呟いた。
「お前にとって、おかえりって言える場所は、何処だ?」
「ガイ?」
その呟きの真意が見えなくて、ジェイドは首をかしげた。
「いや、その…。俺、故郷を失ってて、……でも、家が二つあって。どっちも、何だか本当に俺が帰る場所なんだろうか、おかえりと言っていい場所なのかどうか、わからなくて」
ジェイドはグラスをテーブルに置くと、肘をついて嘆息した。
「ハァ…、あなたはそれを悩んでいたんですか? ルークも大概馬鹿だとは思いましたが、あなたまで馬鹿だとはおもいませんでしたよ」
あなたにもルークの馬鹿が感染りましたか、とジェイドはグラスに二杯目のワインを注ぐ。
こっちが本気で悩んでいるのに、それを馬鹿にされて、親友も侮辱されて、ガイは激昂した。
「お前は帰るところがあるからいいだろ! 俺にはそれが……」
「あなたは!!」
だん、とジェイドがグラスをテーブルに叩き付けた。衝撃でそのグラスに入っていたワインが外へ零れ落ちた。突然怒鳴られて、ガイは次の言葉を忘れてしまった。
「あなたは、家に、場所にただいまと言っているのですか? 人は、家にただいまと言うのではなく、そこで待っている人に、ただいまというんです」
早口でまくし立てて、ジェイドはふと表情を和らげた。
「家で自分を待ってくれている人がいるから、おかえりといってくれる人が居るから、ただいまと言うんです。違いますか?」
「…ああ、そう、…だけど」
その通りだ。しかし、それではやはり、ガイにはただいまと言える場所が無いことになる。マルクトの屋敷にもキムラスカの屋敷にも、自分を待ってくれている人は、いない。
困惑したガイを見て、ジェイドはやれやれ、と肩をすくめた。
「まだ分からないんですか? 私ですよ」
「え?」
「私が、あなたを待っているメ場所モです。おかえりと言うメ場所モです。……あなたが帰ってくるメ場所モです。そして同時に、あなたを待っている人であり、あなたにおかえりを言う人です」
はっと、ガイは気付いた。
自分はなぜここに住むことを決めた? 陛下が口添えして下さったからだけではない、ここに、ここにジェイドが住んでいるからではなかったのか?
ここに屋敷を構えれば、いつでもジェイドのいる街に帰ってこられると思って……。
「あ……」
そうだ。
ここが、ジェイドこそが自分の帰ってくるところなんだ。
場所なんかどうでもいい、ただ、この人のいるところが、ガイにとってのただいまと言える場所なんだ。
「分かりましたか?」
なぜ、いつもこいつは何でもお見通しなんだ、と思う。
投げてくれる言葉が優しすぎて、涙が止まらなくなるじゃないか。
+++
ワインが入っているせいか、頭がぼうっとしている。
少し眠気の混じった視線でジェイドを見つめると、ジェイドは微笑みながらゆっくりと眼鏡をはずし、ガイの頬に手を添えた。
「んっ…、っ、は…ぁ、っん…」
口付けをかわしながら、二人は寝室へと足を向けている。
ジェイドが与えてくれるキスにも、それで感じるほんのりとしたワインの香りにも酔ってしまいそうだ。
ベッドサイドに来たところで、足に入らなくなったガイはベッドに倒れこんだ。腰が抜けたガイを優しく支えながら、ジェイドは手袋を外し照明を消した。
そして、角度を変えてガイの口腔を深く犯した瞬間、二人の夜が始まった。
身体を重ねるようになってずいぶん経つが、まだ、服を脱がしあうという行為が恥ずかしいと思う。
照明を落とした部屋で、ほとんど相手の姿は見えないはずなのに、それでも、自分の全てを相手に見られてしまうと思うと、恥ずかしいのだ。
「どうしました? ……怖いですか?」
言葉とともに、腰をなで上げられて、甘いうずきに腰が抜けそうになる。
怖いのではない。ただ、もし怖いとしたらそれはこれから自分がどんな風に変わってしまうのかわからなくて、それが相手に不快な思いをさせてしまうかもしれないと思うからだ。
そう、この男の情を受け止めると、どうしても自分ではなくなるような感覚がするのだ。
「ふふ……。いいんですよ」
乱れても。
耳に吹き込まれた言葉が、ガイの芯を熱くした。
ゆっくりと、身体をベッドに押し倒されて、感じた重みに胸がときり、と鳴る。密着した肌の感触がリアルに感じられて、全身が粟立った。
ジェイドの匂いが、身体を包み込んでいく。ジェイドの匂いが、ガイの理性をどこか遠くへ追いやっていく。
「ジェイド……」
囁くように名を呼べば、優しいキスをくれた。
始めは、感触を確かめるように長く触れるだけ。次第に刺し入れる舌の深さを変えて、ガイの息の全てを絡め取るように攻めた。絡み合う舌が、ガイの快楽を呼び覚ましていく。
唇が腫れるかと思うほど長くお互いを貪りあう頃には、ガイの息はすっかり上がってしまっていた。
「ジェ…、ド…」
「何ですか?」
ガイの額に張り付いた前髪を取り払いながら、耳元で意地悪く囁くジェイドが恨めしい。その囁きでさえ、身体の奥で燃えている快楽の火に油を注いでいるというのに。
思わず自分で慰めようとするガイの手を、ジェイドはその非情な手で制した。
「ガイ、どうして欲しいんです?」
「…やっ」
涙のにじむ目で、ジェイドの顔を探しても、月明かりのぼんやりとした視界の中では、輪郭がかろうじて分かるくらいで、ジェイドがどんな表情をしているのか分からなかった。分からないから、どこまで本気なのかも分からずに、ガイはひたすら首を横に振った。
「ガイ、言ってくれなければ分かりませんよ? ほら、言って下さい」
「…ひ、ひど…っ」
「じゃあ、ずっとこのままですよ」
ジェイドの指が、ガイの欲望を指で軽く弾く。腰に響く強い快感に、ガイは背中を反らせて喘いだ。
開放を求める屹立は、既に欲にまみれた蜜を垂れ流している。
「頼む、から…」
「頼むから、なんです?」
笑みを含んだ問いかけに、ガイはついに我を失った。
もっと触れて欲しい。もっと強く。
「…ジェイド」
拘束されていないほうの手で、ジェイドの手をそっと掴む。それを自身の屹立に重ね合わせる。
「触って、強く…。…俺を、イかせて」
満足げに笑ったジェイドは、ガイの望み通りにその固さを扱き上げる。
「…、あっ、あ…!」
果ては、あっけなく訪れた。ジェイドの手の中で、ガイは白濁を撒き散らした。
絶頂を迎えた後は、いつも訳も無く切なくなる。指一本動かせない、快感の余韻に浸っていると、突然、未だ熱を持ったそこに湿った感触を覚えて、思わずガイは腰を引きかけた。
しかし、ジェイドはそれを許さず、逆に思い切り腰を引き寄せてきた。
「あっ…、ジェイ、ド…、そん、そんな……あっ」
白濁にいやらしく濡れる屹立を喉の奥に迎え入れて、ジェイドはわざと軽く歯を立ててみる。
ぴりっと走る痛みに、眉をひそめると、今度はそこを優しく舌で愛撫してくる。そのむず痒いような心地よさに、ガイは腰を左右に揺らした。
噛んでは舐め、再び甘噛みする。両極端な攻めに、すぐにガイの分身は固さを取り戻していった。
「ガイ、あなた一人だけでお楽しみですか?」
口を離して、再びジェイドが意地悪を言った。
正直、ジェイドの巧みな攻めに翻弄しきっていたガイは、指を動かすだけでも億劫だったのだが、他ならぬ愛しい人の頼みだったので聞いてあげないわけにはいかなかった。
身体を起こして、ジェイドのいる方向へと手を伸ばす。
確かめるようにして身体のラインを辿って行く。胸から腰へ、腰から股間へと。
硬さを握り締めると、はあ、と濡れたため息を漏らすジェイドが愛しい。根元から、ゆるゆると擦り上げる。先端を捏ねるようにして撫でる。その度に漏れるため息と、溢れる先走りが、ジェイドも感じてくれているんだな、と実感できてとても嬉しく思う。
「私のも舐めて頂けませんか? …あなたにしてあげたように」
出来るでしょう、とガイの頭をゆるくかき混ぜれば、いやいやをするように左右に首を振る。仕方ないですね、と頭を無理矢理引っ張り込めば、頭を引き戻そうと全力で抵抗してくる。
「おや、あなたは自分にして欲しいことは強請るくせに、他人のして欲しいことは叶えないのですか?」
「…それは」
「何か正当な理由でも?」
お前が言えと言ったんだろう、とは言えなかった。そんなことを言ったら、きっときついお仕置きが待っているのは目に見えているからだ。
ならば、……答えは一つしかなかった。
そろそろといきり立つものに舌を這わせていく。鼻をつく雄の匂いを、出来るだけ気にしないようにして、根元まで呑み込んでいく。限界まで呑み込んでも、まだ余るくらいの大きさに驚きながらも、ゆっくりと愛撫を施していく。
「いい子、ですね…」
稚拙な愛撫のリズムに合わせて、ジェイドの手がガイの身体を滑った。
髪をかき混ぜ、耳たぶをつまみ、うなじを通り脇をすべり、そして秘された場所へとそれは蠢いていった。
ひやりとした指が入り口を突きはじめたのを知って、はっとする。
「ジェイド、そこは…」
「気にしないで続けてください」
気にしないで、といわれても。
「ひっ、……ぁ、あ」
指が滑り込んでくれば、続きどころではない。
ガイがろくに愛撫も出来ないまま喘いでいるうちに、呑み込む指の本数は3本にもなっている。
「ひゃっ、あ、あ、ぁあっ…、もっ、でき…な…っ」
「仕方ないですねえ。……それでは、今度は下の口に咥えてもらいましょうか」
えっ、と声を発する間もなく、体位が変わる。
ベッドに仰向けで押し付けられて、腰を高く上げさせられた。苦しい体形のまま、ジェイドは猛った欲情を押し進めようとしている。
「これが、…欲しいですか?」
ジェイドの声が、欲情でかすれている。熱をもったその声に、ガイは一瞬自分の今の状態を忘れて、腰を揺らした。
「ジェイド……ッ」
焦らすように入り口を先端で弄くられて、ガイは息を乱した。
欲しい。今すぐその熱が欲しい。
ガイの両手が、ジェイドの首に回された。
「ジェイド、欲しいよ……だから」
焦らさないで。
言葉とともに、小さく口付ける。
「ガイ、段々強請るのが上手くなって来ましたね」
欲望の切っ先が突き刺さってくるのを感じながら、それでも、ガイは全てをジェイドに預ける。
意地悪なことばかり言うけれど、ジェイドの与えてくれるものは優しいと知っているから。
「あ…っ、あ、あっ」
「ガイ……」
何度も自分の名を呼ぶ恋人。
呼ばれるたびに心に幸せが降り積もって行く気がする。
こいつも今幸せなんだろうか。
「ジェイド…、っ、あ、あぁ、…お前が、待っていて、くれるから……、俺、っ」
「っ、…ええ、分かっていますよ、だから私は、あなたを、待っているんです…っ」
汗を振りまきながらの深い情交。お互いに深いところで絡み合っている喜びが、二人を突き動かしている。
二人一緒に高みへ上り詰めたい。
「ガイ…、いきますよ」
余裕の無い笑みを浮かべたジェイドはこれまでになく激しい腰使いでガイを翻弄した。
ベッドがきしむ音が、遠くで聞こえる。
「あっ、あ、あ…、あっ…も、もぅ、だめ、我慢、でき…な、っ」
「いいですよ、っ…一緒に…っ」
ジェイドが深々とガイを抉った瞬間、高々と悲鳴を上げて、ガイは絶頂を迎えた。その反動で収縮した内部に締め付けられ、ジェイドもガイの中へと精を放った。
二人の身体が、力なくベッドへと沈んでいく。
荒い息を整える間、二人はお互いをきつく抱きしめたまま離さなかった。
「ジェイド…ありがとう」
まだ少しだけ弾んでいる息のまま、ガイはふと呟く。
「お前がここに居てくれて、本当に良かった」
その台詞に、嬉しそうに笑ったジェイドはガイの首筋に顔をうずめさせた。
「嬉しいことを言ってくれますね」
顔をくすぐるジェイドの髪を手で梳きながら、ガイもつられて苦笑した。
「お前が何処に居ても、お前が俺を待ってくれているのなら、俺は絶対にお前のところへ帰る。何があっても、お前のところに飛び込んで行く」
「それでは、私は両手を広げてあなたを待っていますよ、いつでも抱きしめられるように」
こんな風にね、とジェイドはガイを強く抱きしめなおした。
そして、耳元でそっと囁く。
「おかえりなさい、ガイ」
おかえり、というフレーズがガイの中の何かを熱くさせた。目に涙が溜まっていく。
本当に、どうしてこいつはこんなに優しいんだろう。
ただいま、という言葉が喉まで出掛かっているのだが、それがうまく音にならない。
口を開いたら、みっともない嗚咽になってしまいそうだ。
ガイはジェイドに抱きつく腕に力を込めた。これで少しは通じるだろうか。
やっと見つけた、ただいまと言える場所。
もう、絶対に離しはしない。