反比例の不可解な情動

 ねえ、と呼ばれて鳥肌が立つ。
 ほら、と促されて色めき立つ。
 自分でも、もう止められはしなかった。


反比例の不可解な情動

Cussion!! この作品はそこはかとなくエロいです!
言ったよ? 言ったからね?





 なぜ、なんだろう。
「……ん、うっ…」
 普段執務をしている机にすがりついて喘ぎながら、絳攸は甘く痺れる頭で考える。
 執務室前で楸瑛に迫られてから、一月ほど経って。
 あの時、彼に抱き合うことについて示唆されたときから、絳攸は彼からそういう対象に見られていることに酷く敏感になり、そして、自分の中で急速に肥大していく感情をもてあますようになった。
 いつしか楸瑛をそういう対象で見てしまう自分に気付いて。
 いやだ、と思った。愛し合っていて、それで、最終的にそう言うことになるのはまだ許せる。だが、最初からそんな関係で、愛が育つわけがない。
 なのに。
「足を開いて」
 なぜ、こうやって抱かれようとしているのか。愛の言葉を交わす機会も与えられないままで。
 だが、その思考も、侵略者の指がまた深く体内に入り込んだことによって中断される。
 いつもはあんなに繊細な指をしているくせに、こんなに獰猛に蠢くことができるなんて今まで知らなかった。
「ぁ、…んッ……」
 声を出しかけて、あわてて唇をかみしめる。
 これでは、互いの気持ちをごまかしあっているようではないか。
 楸瑛は、言葉が通じないならば身体で、と歩みを進めてくるし、絳攸は言葉の代わりに身体を、と顔を背けながらも身体を開く。
 愛があるようで、全くない性交。
 今の二人の間には、“好き”の文字すらないのだから。
「ねえ、こっちを向いておくれよ」
 すがるような声音が、絳攸の身体を惑わす。彼は自分のこと“だけ”が好きで、そして欲しいのだと。
 その気持ちを振り払うように、そして、楸瑛の言葉を否定するように、絳攸は小さく首を振る。その代わり、されることに関して抵抗はしない。
 手を伸ばしたのは、……誘いをかけたのは、絳攸の方だったから。
 いつものように、人の背中を追いかけながら執務室にたどり着いた絳攸の目に飛び込んできたのは、先客である楸瑛の姿。普段絳攸が使用している机に軽く腰掛けながら、そう、茶を飲むように慣れた手つきで手淫をする楸瑛の姿。ほとんど背中しか見えなかったけれど、間違いない。
『ああ』
 小さく肩が震える。聞こえてきたのは、微かな水音と、恍惚の溜息。
 ぞくりとするほど色気に満ち、それでいて、どこか物悲しいそれに、絳攸は思わずその広い背中に飛びついていた。
 こんなところで何をやっているんだ、という怒りは言葉にならない。そんなにつらいのか、と心配もしたくない。でも。
『身体なら、身体だけなら、……貸してやる』
 その情けない面を見るのは二度と御免だ。


 荒い息が頬をかすめる。
 触れる相手の体温が心地良い。
 二人とも、なぜ、とは問わなかった。
 理由は、きっと互いに知っているであろうから。
 なのに、なぜ“好き”の二文字が口からでないのか、それは二人にも分からなかった。
 肌を重ねただけでは、何も変わらないと言うのに。
「絳、攸……っ」
 そう言って、楸瑛は絳攸を抱きしめる。絳攸の“身体”を抱きしめる。
 絳攸が貸し出したのは身体だけだ。心は、まだ絳攸のものだ。
 だから、絳攸は理性を手の内に収めたままだった。
「やる、なら……、さっさと、動け……っ!」
 快楽がない、といえば嘘になる。
 だから、深いところに沈み込んだ楸瑛が軽く動いただけで、息が上がるのを抑えられない。
 密かに想っている相手が自分を蹂躙している事実に、欲情してたまらない。はやく、この熱をどうにかして欲しい。
 だが、快楽に溺れた声をあげるわけにはいかない。気取られたくはない。これに愛はないんだ、と絳攸は深く自分に言い聞かせた。すると、不思議と気持ちが落ち着いていく。
「その気がないのなら、……仕事がしたいのだが?」
「分かっている。………分かっているよ」
 それは、何に対して“分かって”いるんだろうか。
 はやくして欲しいと絳攸が思っていること?
 絳攸は手に入れられないこと?
 ………それとも、本当は絳攸が自分に恋いこがれていること?
「っ、く……は……、ッ」
 呪文のように、繰り返す。愛はない、愛はない、愛はない……
 思考の全てを根こそぎ奪うように、楸瑛の律動は速くなっていく。
 熱く、激しく。
「………っぁ…、は、っ」
 絳攸の頭の中は、熱くどろどろに溶け、しかし、どこかに氷の塊がその形を保ったまま存在している。
 その冷たさに、絳攸はかろうじて理性を飛ばせずに済んだ。
 しかし、目の前のこの男は、汗を滴らせながら、余裕がないと言った表情で、こちらを攻めてくる。囁いている言葉は、自分の手に入れられない愛する人の名前だ。
 ざまあみろ。
 絳攸は薄く笑って、瞳を閉じた。
 その瞳の端からこぼれ落ちた冷たい雫を、知らないふりをして。


+++


 それから、何度か楸瑛と関係を持った。
 楸瑛が夜中に突然現れ、何も言わずに抱きしめられると、そこから夜は始まっていた。
 その度に、絳攸は声を殺し、心を殺し、只の肉体となる。互いにとって、それは深い苦痛を伴うことなのだが、それ以上のことを、望むことが出来なかった。
 本当に、一言も言葉を交わさずに、夜は終わる。朝になれば、何事もなかったかのように、執務が始まることを考えては、その虚しさに涙する日もあった。
 けれど。絳攸は考える。
 これ以上になることは出来ないし、これ以下になることももう出来ない。
「……う、……攸、……こーゆー!?」
「……はい?」
 眉一つ動かさずに答え、見つめた先には、ずっと自分を呼び続けていたらしい劉輝の姿。
 そういえば、案件の最終調整の真っ最中だったか。
「はい? じゃないだろう。……ここのところ、体調も悪そうだし、なんだか上の空だし、大丈夫か?」
「そんなに柔な身体に見えますか? ……ですが、上の空だったのは謝ります」
 すみません、と小さく謝辞を述べ、なおも言い募ろうとした劉輝を制して案件に目を通し始める。
 劉輝は小さく息を吐いた。
「絳攸。ちょっと待て、やはり、最近のお前は少しおかしい。何か悩みがあるのなら……」
「おかしくなんかありませんッ!」
 条案を書き連ねた紙をしわにして、絳攸は反射的に怒鳴ってしまう。これでは、嘘が見え見えだ。自分の失敗を悟って、絳攸は震えた。
 劉輝は持っていた筆を置き、まだ震えている絳攸の方を見つめた。
「今日はこれくらいにして、……酒でも飲むか、絳攸」
「は? まだ昼過ぎ……」
「いいだろう」
「それに、案件が……」
「いいだろう、な?」
 畳みかけられるようにして言われて、ましてや、それが一国の国王であるため、絳攸は迷う。この案件は早急に詰めておかなくてはならないのだが。しかし、この目の前の男は自分を心配してくれている。
 絳攸は頷いた。このまま気持ちが揺らいだままで仕事をしていては、分かるものも分からなくなるとも気付いたからだ。
 一体どこに用意していたのか、劉輝は酒の用意をすぐに整えていく。絳攸が気付いたときには、手には杯を持っていて、上質な酒が並々とそそがれていた。
「さあ、遠慮せずに飲め。これは、余の好きな酒だ」
 言いながら、自分はごくごくと何杯も杯を空けていく。途端に劉輝の顔に赤みが差していった。
 劉輝が酒に強くはないことを、絳攸は知っている。自身も笊ほどには強くないため、ゆっくりと酒を飲み干していく。
「……この間、珠翠から聞いたのだが」
 劉輝に酒を注いでいた絳攸の手が、瞬間止まる。“珠翠”の文字が、暗に後宮を指していることに気付いたからだ。
「“うじ虫が最近来なくなって嬉しいですわ。でも、あれはあれで人気がありましたから、皆心配で。何かあったのでしょうか”……だそうだ」
 注がれた杯を一気飲みし、劉輝は“おかわり”とばかりに杯を突き出す。絳攸は何も言わず酒をつぎ足した。
 うじ虫とは、言わずもがな、後宮に入り浸り、女を片っ端から漁っていくあの万年常春頭のことだ。
「それに、最近はこの室にも滅多に顔を出さない」
「……そうですね」
「どうしてだと、思う?」
 理由にものすごく心当たりのある絳攸は、しかし良い言い訳が思いつかず、無言で酒を飲んだ。
 単なる気まぐれ。
 そうやって片づけてしまうほど、楸瑛は軽い男ではない。行動には、必ず理由がある。
「そうなのだ。……理由が、必ずあるはずなのだ」
 絳攸の考えを見破ったかのように、劉輝は腕を組んだ。そして、おもむろに身を乗り出すと、絳攸の瞳をじっと見つめる。
「理由は、お前ではないのか? 絳攸」
「!」
 絳攸は、はっと視線を劉輝に向ける。背中を、嫌な汗が滑り落ちた。
 知って、いるのだろうか、自分たちのことを。
「また、お前が後宮に行くなと言ったのではないのか?」
「いつも、……言っているでしょう」
 そうだな、と劉輝はまた杯を干した。
 そうだ。いつでも絳攸は後宮には行くなと言っていたのだ。こんな時期に、なぜ。
「……め、だ」
「……?」
 小さく呟かれた言葉は、小さすぎるが故に絳攸の耳には届かない。
 劉輝はうつむいて、しばしの逡巡の後、意を決したように顔を上げた。
「見たのだ」
 何を、と問いかけたいのに、口が動かない。まさか。
「知っているのだ。……お前たちのこと」
 がたり、と大きな音を立てて絳攸は立ち上がった。驚きすぎて、声も出ない。
「一ヶ月前、くらいだったか。お前たちは、この室の前で言い争っていたな」
 一ヶ月前、というと楸瑛に初めて迫られた、あの時だろうか。
 絳攸はめまいを覚えた。またよろよろと椅子に倒れ込む。この焼けつくような感情は何なのだろう。怒りか、羞恥か。
「余は、お前は受け入れないだろうと思った。そして、お前はその通り受け入れなかった」
 なぜこんな事を言うのだろう、この人は。
 震える手で、酒を口に運ぶ。酒の味が、全く分からなかった。
「だが。楸瑛が去ったあの後、お前はものすごく寂しそうな顔をしていた。捨てられて傷ついた仔猫のような顔をしていた」
 混乱している心を静めてくれると信じて、酒を次々に口に運ぶ。けれど、何も状況は変わらない。
 酔いと相まって、絳攸の頭はさらにぐるぐると渦を巻くように混濁していった。もう、猫呼ばわりされていることにさえ気付かない。
「好き、なのだろう? 本当は」
 優しい劉輝の問いかけに、絳攸は素直に頷いてしまっていた。悲しくなんかないのに、視界がぼやけて見えるのは、なぜなんだろう。全てを、酒の所為にしてしまいたかった。




「好きだから、拒んだんだ。……好きなのに、拒んだんだ! あいつを傷つけているって分かっていたけど、でも受け入れる訳にはいかなかった! 俺たちは、男同士である以上に、文官と武官で、さらには、紅家と藍家だ、無理に決まっているだろう! だけど、だけど……、あの日の楸瑛の後姿が、いつでも頭を過ぎるんだ。あの日の全てをあきらめたような情けない面が、頭を過ぎるんだ! その度に、自分がどれだけあいつを想っているかに気付いて、どうしようもなくなって……、あいつに、身体だけ許してしまったんだ……っ」
 そう言い切ると、絳攸は堰を切ったように泣き始めた。
 さすがに身体の関係があったことは知らなかったのか、劉輝は息を呑む。愛のない行為は、苦痛を伴うだけだと知っている。
 しばらく涙をこぼしながら、嗚咽を繰り返していた絳攸だったが、呼吸が落ち着いてくると、突然嫌だ、と漏らした。しばらく、小さな声で嫌だ、と繰り返す。
「嫌だ。……嫌だ、嫌だ! このままの関係を続けていくのは嫌だっ! でもっ、でも……、っ、あいつを、失うのは……、もっと、っ、嫌なんだ…ぁ…っ」
 そして、また泣き出す。
 絳攸は悪酔いするとくだを巻くことが多いのだが、今回はとことん泣き上戸らしい。
 酒を飲ませて本音を聞こう作戦は見事に成功したのだが、こうも派手に泣かれるとは。困った。
 仕方なく、机に突っ伏して泣き続ける絳攸の頭を撫でる。とはいっても、綺麗に結ってある絳攸の髪型を壊したくはなかったので、軽く叩く程度のことだったのだが。
「しゅ……じょ、……っ」
 目を腫らして、顔を真っ赤にした絳攸が一瞬だけ顔を上げて劉輝を見つめる。心に只ひとりと決めた相手がいるのにもかかわらず、劉輝は不覚にも絳攸を可愛いと思ってしまった。
「そんなにつらいなら、その気持ちを楸瑛に言ってはどうだ? 楸瑛なら、きっと分かってくれるとおもうぞ?」
 突っ伏したまま、絳攸は大きく首を振る。
 そんなこと、出来るわけがない。……いや、本当はしたいのだが、この馬鹿に大きい矜持が邪魔をする。素直に好きでしたと言うには、あまりにも時が過ぎすぎてしまった。
 ずっと首を振り続ける絳攸を見て、どうしたものかと考える。しかし、見知った気配が室のすぐそばまで近づいていることに気付いて、口角を上げる。
 手のかかる奴等だ。
「言ってみなければ、分からないだろう? 少なくとも、話くらいは聞いてくれると思うぞ。……なあ? 楸瑛」
「……なっ!」
 ぎょっと見た視線の先に、今まさに室の中に入ろうとしている格好のままで固まっている楸瑛の姿があった。あまりの衝撃に、涙が止まってしまう。
 劉輝は苦笑して、席を立った。
「ほら、お膳立てしてやったんだから、ちゃんと仲直りするんだぞ? それから、今日詰められなかった案件は明日に回す。その代わり、“3人”で一緒にやるからな」
 絳攸は目を見張る。劉輝は知っていたのだ。絳攸がわざと楸瑛の来られない時間に執務室に顔を出していたことを。
「主上……」
 横を通り際、楸瑛は困ったような声を劉輝にかけた。こんなつもりではなかったのに。
 劉輝はふわりと微笑んでみせる。
「いい加減、素直になったらどうなのだ」
 今度は楸瑛がぎょっとする番で、何も声が出せないでいる間に、劉輝は室をでて行ってしまった。
 残されたのは、困惑する二人だけ。
「楸、瑛」
「うん?」
 おずおずと切り出された言葉に返された響きは、あまりにも優しくて、絳攸の目に再び光るものがたまっていく。
「……お前、何で、ここに……!」
「いや、一応主上付……なのだけど」
「だからって、なぜ今来た!?」
「いや、だから任務が終わったから……」
「今じゃなくてもいいだろう!?」
「今日、重要な案件の細案の確認をするって言ったのは、君じゃないか!」
 思わず意固地になって叫んだ瞬間、絳攸が泣きじゃくりながら楸瑛の胸に飛び込んだ。何回も胸を拳で叩く。
「何でこんな時に来るんだ……! お前に、お前に逢いたくてたまらなかったのに、本当に現れやがって、この野郎! お前に言えない分、たくさん主上にぶつけてしまっただろう! あんな高価な酒、滅多に飲める代物じゃないのに、沢山、呑ん、でしまっ……てぇ……っ!!」
 最後の方は、しゃくりあげてしまって上手く言葉に出来なかった。それでも、胸を叩く手の動きは止めない。その動きは本気ではないから、鍛え上げている楸瑛にとってはさほど痛みは感じないのだが、勢いに押されて、次第に壁際まで追いつめられていく。
 “逢いたくてたまらなかったのに”
 そう、楸瑛も逢いたくてたまらなかった。顔を見れない時間がどれだけ苦しかったことか。
 思わず、やたらと小さく見える背中を抱きしめようと手を伸ばして、しかしその手は下ろされた。そんな資格は、自分にはないのだから。
「……きなのに!」
「……え?」
 どん、と強く押されて、楸瑛はあっけなく床に転がった。床に打ち付けた肘が痛い。
 その楸瑛に馬乗りになると、絳攸は自らの外衣に手をかけた。
「絳攸!?」
 焦って止めようとすると、絳攸はその指に噛み付いた。痛みに顔をしかめると、今度は薄く笑ってその部分をちろりとなめる。背筋がぞくりとした。
「どれだけ、俺がお前を欲しているのか、教えてやる。だから、……“身体を貸せ”」
「いいよ。いくらでもあげるよ。身体でも、……心でも」
 心でも。
 そう唇にのせると、一瞬絳攸は目を見張って、次の瞬間楸瑛と唇を重ねる。
「俺に、よこせ……、全部よこせ…!」
 そう言ったのが引き金になって、二人は互いの服に手をかけた。



続きます。この話は、二人が別れなければならないんですから!(そうなの?
絳攸の泣いているところの描写は、絳攸を思い浮かべるのではなく、ひーちゃんを思い浮かべました。こっちの方が、泣いているシーンが想像しやすいです(殆どヴェ○グになったけど)。…私だけですか。

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