点対称の想いを抱いて

 本当は、最初から知っていた。
 国試の試験会場でたまたま顔を合わせてしまった、あの時から。
 
「やあ、また会ったね」

 にこりと笑いかけて、ゆっくり手を振るあいつが、何を思って俺に近づいてきているのか。
 何を思って俺の肩を叩くのか。
 それは。
 俺と同じ思いであったから。

「俺は、貴様なんぞに会いたいとは思っていない!」

 だからこそ、知っているからこそ、俺はその思いに背を向ける。


+点対称の想いを抱いて+


「本当に、君ってつれない性格してるよねえ」
 少し後ろから脳天気な声が聞こえる。
 大きなお世話だ、と怒鳴りつけてやりたいが、あいにくとそんな余裕は絳攸にはなかった。
 彼と二人で“双花菖蒲”と呼ばれる主上付になってから、吏部侍郎も兼ねる彼は、さらに忙しい毎日を送るはめになっている。そして、それは、今日も例外ではなく。
「俺は忙しいんだ! 特に用事もないのに話しかけるんじゃない!」
 毎日鍛錬と修行に明け暮れる脳味噌筋肉の武官と違って、文官はいつでも頭を回転させっぱなしで生活している。
「分かったよ。じゃあ、黙ってついていくことにするよ」
「ついてくるな! うっとうしい!」
 今だって、絳攸は歩きながら書簡の整理と、来年度の人員補正案と、主上が出した議案の修正と、それから、目印の確認に余念がないのだ。その上常春に監視し続けられたら分かるものも分からなくなりそうだ。
 と、ぷりぷりしながら歩いている絳攸。端から見ればどこか目的地に歩いているように見えるのだが、彼の場合、それは無理に等しい。なぜなら彼は超絶方向音痴だからだ。目印を捜さなくては、歩いて30歩のところでも迷う。
 なぜか、今日はその目印がどこにも見あたらない。疲れているんだと自分に嘘をついて、絳攸は右へ曲がってみた。その瞬間、楸瑛がくすっと笑ったと思ったのは気のせいだ。
 どうもこの王宮というやつは、自分に断りもなく改修工事をするようだ、と絳攸は勝手に思っているようだが、実際改修工事はここ数年行われていない。行っていたとしても、それは改修と言うよりも補修で、大きく見取りが変わるわけではない。
「どうしたの、絳攸。ああ、また迷子に………」
 そわそわし始めた絳攸の様子を見てとってか、楸瑛が口に笑みを浮かべて言う。
 しかし、その言葉は瞬時に切って捨てられた。
「なってないッ!」
「はいはい」
 この俺がそんな馬鹿な真似をするわけがないだろうに。何を言っているんだこの常春馬鹿は!
 心の中で毒づきながら、絳攸はさらに大股で歩を進める。
 しかし、彼の思いとは裏腹に、どんどん風景は見慣れないものになっていく。
 ついに自分の居所さえ分からなくなってしまった絳攸は、困り果てて歩みを止める。
 絳攸の早歩きに追いついた楸瑛は、殊更笑みを大きくして囁いた。
「連れて行ってあげるよ。いつもの執務室にいきたいんだろう?」
 声が嬉しそうに跳ねているのは、あえて気にしないことにする。
「……ちなみに、ここはどこなんだ」
 認めたくはないが、やはり改修工事が行われて目印が無くなっていたらしい。
「吏部まであと30歩ってところかな」
 楸瑛から出た言葉に愕然とする。
 散々歩いて、また振り出しに戻っただと?
 やはり、ここは建築に問題があるに違いない。今度朝議にかける必要があるな。
 ひとり頷く絳攸の手を握って、楸瑛は元来た道へと進んでいく。
「ちょ、この手を離せ!」
「連れて行ってあげる、と約束しただろう? ちゃんと送っていってあげるから心配しないで」
 この男の所為で方向音痴に拍車がかかっているのではないかと、絳攸は本気で思った。
 何しろ、こいつと一緒にいると時間の経過が早すぎる。道順が分からないじゃないか。


+++


「私がついてきていて良かっただろう? こうしてちゃんと目的地に着ける」
「………ふん」
 口が裂けてもありがとう、ごめんなどとは言えない。
 むしろ、自分が迷ったなどと思いたくない絳攸は、謝る気などさらさらないのだが。
「もう少し、私を頼って欲しいものだね」
「ふんっ!」
 勢いで手をふりほどいた。もうすぐそこに入り口の扉が見えるから大丈夫だろう。
 楸瑛を追い越して歩みを進めて、扉を開ける。
「待てよ、どうしていつもそんなに素っ気無いんだい? もうちょっとだけ私と話していても良いだろう?」
 楸瑛が入るのを待たずに扉を閉めようと思った絳攸は、背を向けたままだ。
 その背中を抱きしめようと近づきながら、楸瑛は小さく言う。
「私はこんなに、君を……」
 分かっていた。
 なぜ楸瑛は自分のところへやって来るのか。
 分かっていた。
 そんな彼を拒みきれない自分を。
「! その先は、……!」
 だからこそ、その先に続く言葉を受け入れなかった。相手を、なにより自分の気持ちを認めてしまうのが怖くて。
 楸瑛の言葉を止めようと勢いよく振り返った絳攸の瞳の先には、すぐ目の前に迫った楸瑛の顔。
 そして、あたたかくて、柔らかい感触。
 確かに、言葉を止めることには成功したのだが。
「ん、っ……」
 思わず得た口付けにうっとりと瞳を閉じた楸瑛は、絳攸の腰に手を伸ばしかけ、しかしその手はもっと上の胸を押した。
 それこそよく茹でた芋も潰せないような力で、胸を押し、唇を自分から離した武官は、そのまま文官へしなだれかかる。
 立て続けにあり得ないことが連続して起こり、頭がついていかない絳攸は、反射的に楸瑛の身体を受け止めてしまっていた。
「な、な、何で、そん……!!」
 思いがけなく楸瑛を抱きしめる形になってしまったことにあわてふためき、突き飛ばそうとするが、胸の辺りを掴んでいる楸瑛の手が震えていることに気付いてしまい、武官なのになんだか頼りなく思えて、そんなことは出来なかった。
「……すまない。その、最近君のためを思って、花街も後宮も行かなかったから……、刺激が、強くて」
 吐いた溜息がこの上なく色っぽくて、絳攸の動きが止まる。
 自分のために、女を抱かなかった? 本当に?
「本当だよ」
 絳攸の心の中を見透かしたように、楸瑛が呟く。
「本当だよ……」
 もう一度吐息混じりに呟いた楸瑛は、実は切羽詰まっていた。この高ぶったものを早く解放したいと願い、愛しい者にすがりつく。
 二人の視線がかち合う。
「抱いていいか……」
「だめだ!」
 絳攸は首を横に振った。
 絶対に駄目だ。そんなことをされたら、きっと後戻りできなくなる。
 目を瞑って身体を突き飛ばすと、楸瑛は近くの壁に背中を預けてずるずると座り込んだ。
 楸瑛が自嘲する。
「はっ、……羽林軍将軍の肩書きを持つこの私が、たったひとりの男に振り回されて、おまけに腰砕けとは……、笑えるね」
 笑える、と自分で言ったとおり、哀しい声で笑う楸瑛。小さく肩を震わせる動作に、思わず、手を伸ばして慰めてあげたい、そんな風に絳攸は思った。だが実際そんなことが出来るはずもなく。
「……慰めて欲しいなら、他を当たれ」
 心に思っていることとは反対の事を口にする。
 そして、背を向ける。
 ふっ、とまた自嘲気味な笑い声が聞こえた気がした。
「……そうするよ」
 心苦しくないと言えば、嘘になる。本当は、今すぐにでも抱きしめてやりたい。
 けれど。
 素直に立ち去る気配を後ろに感じながら、しかし、絳攸は動くことが出来ないのだ。
 なぜなら、知っているから。
 なぜ、彼が自分にまとわりつくのか。
 なぜ、こんなにも彼を呼び止めたい衝動に駆られているのか。
「……まるで、点対称だな」
 今の自分の態度をひっくり返して、重ねれば、楸瑛が自分に対して向けてくる想いとぴったり重なる。
「あいつのように、想いを伝える手段を沢山持っていたらいいのに」
 一つだけ羨ましい事を上げるとすれば、そこだろう。
 言葉でもいい、行為でもいい、仕草でもいい。
 何か、何かあいつに想いを伝える手段を。
「さ、仕事だ仕事!」
 頭を振って雑念を追いやった絳攸は、開いたままになっている執務室の戸の向こう側へと消えていった。



 点対称の思いを抱きながら、二人の青年は月明かりの窓辺に座る。
 昼間感じ、すぐに消えていった相手の温もりを、口唇に求めながら。

後書き(ってか言い訳

はい。 ごめんなさい。
何にも変わってねえじゃねーかよ、楸瑛×絳攸と!! うぱぁ(謎
……精進します。(あ、このセリフ毎回毎回言ってる気がする
今回、私はただ色っぽい楸瑛を書きたかっただけなんだけどなぁ。

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