残り物には福がある


+残り物には福がある+


「うん、夏と言ったら浴衣に団扇で日陰ぼっこだよねえ」
浴衣を身につけ、団扇を扇ぎながら、なんとも少数派な意見を言っているのは、藍家の四男、眉目秀麗で名高い藍楸瑛である。大体が、日陰ぼっことは何だ。
ただこうして、長い黒髪を後ろでくくり、足をだらりと広げて、なおかつ眉の下がりきった顔を団扇であおぐ様は、どうにも年寄りだ。とても、ふだんのきりりとした面立ちで執務に臨む武官の彼とは思えない。
「……そう思っているのは、お前だけじゃないのか?」
同じく(なぜか無理矢理)浴衣を着(せられ)て楸瑛と離れたところに座っている、青銀の髪を同じく後ろでくくった男は、じめっとした暑苦しさに苛立った顔を隠すでもなく、そのまま楸瑛を睨んでみせる。
「だから、暑いんだから涼みたいと言っているだけだろう、絳攸? なんでそんなわざわざ暑いところにいるんだい?」
「お前の側に寄りたくないからだろうが、馬鹿ッ!!」
絳攸は吠えた。
見れば、日の関係で部屋の中の日陰は楸瑛の座っているところにあるだけだった。大きさもさほどなく、大人が固まって座れば二人入れるか入れないかだろう。日陰にはいると言うことは、いやでもこの脳天気な常春頭のすぐ近くに座らなければならないのだ。
「…………暑い…っ」
しかし、結局日向にいる絳攸は楸瑛の二倍は暑い。たらりと垂れる汗の量が、嫌でも増していく。何かいい方法はないのか。
ふと、あることを思いついた絳攸は、立ち上がると、部屋を出ていこうとする。
「どこへいくんだい? 絳攸」
「どこだっていいだろう」
なんともつれないお姫様である。
「はいはい、ご勝手に」
絳攸の方を振り返らずに、ひらひらと手を振ってみせると、すぐにぴしゃりと戸が大きな音を立てて閉まった。
「………だから涼んだ方がいい、って言っているのに」
夏は暑いから、頭に血が上りやすいんだよ、絳攸。
でも、こんな事を言ったらこの短気だけど可愛い姫は、ますます可愛い顔をして怒るだろうから、口に出しては言わない。
思わず、ふふふ、と笑いを漏らした。



しばらくして、絳攸は何かを抱えて帰ってきた。
そして、少し広くなった日陰の隅の方ーー出来るだけ楸瑛よりも遠いところ−−に腰を下ろすと、懐から短刀を取り出した。
しゃら、と金属がこすれる微かな音を聞いた楸瑛は、いままでのだらしのない顔を一変し、瞬間で後ろを振り返った。
まさか!?
「なっ、なんだ!?」
振り返った楸瑛の目に飛び込んできたのは、確かに短刀だったのだが、しかし、考えていたこととはかなり用途が違っていたようだ。
「………西瓜、ね」
絳攸は中くらいの大きさの西瓜を切ろうとしていたのだ。
いきなり楸瑛が振り返ったものだから、絳攸はびっくりして、西瓜に刃を突き立てたまま固まってしまった。
一気に気が抜けて、楸瑛は溜息と共に頭を垂れる。
「なっ、何なんだ一体!?」
しかし、当の絳攸は何も分かっていないようだった。
「いや、どうぞお好きなように西瓜を……、って、西瓜!? どこから持ってきたんだい、それは」
藍家で西瓜を買い求めた記憶はない、と思うのだが。
それに、この部屋に来たときに絳攸は何も持っていなかったはずだ。
「………実は、今日は西瓜を、持ってこようと、思って……、ここに」
わざわざ絳攸が半日以上かけて藍家に来た理由は西瓜だったのか。
「で、何で今頃」
「………家人の者達に言って、冷やして貰っていた」
で、忘れていた。
楸瑛が問いかけると、絳攸はこくりとひとつ頷いた。
本当は冷えた頃にすぐ食べるつもりだったのだが、浴衣だのなんだのとごたごたしていて、すっかり頭から抜け落ちていた。
「まあ、いいけどね。……うん、とてもいい」
……絳攸がここに来た理由は、西瓜を私と一緒に仲睦まじく食べたかったからなのだ、と勝手に脳内変換した楸瑛は、突然沸き上がってきた喜びに、思わず笑みを大きくしてしまう。
その笑みを見た絳攸はぎくり、とする。これは、何かを企んでいる時の笑い方だ。
楸瑛は絳攸の腕の中から西瓜と短刀を奪い取ると、実に綺麗に一切れ西瓜を切り出した。それも、瞬時に。
その動作が嫌でも「何か」を切ることに長けている武官らしさを彷彿とさせて、絳攸は眉を顰める。
「……西瓜はそこらの獲物じゃないんだぞ、藍将軍」
「分かってるよ。ただ、君じゃあ危なっかしくて見ていられないから、お手伝いさせて貰おうかと思ってね。……はい、どうぞ」
笑顔と共に差し出される西瓜。
真っ赤に熟れ、甘い汁を滴らせるそれは、とても美味しそうで、絳攸は感謝こそしなかったものの、素直に受け取った。
しかし、少し大きめなその切り身を手に持ったまま、絳攸は楸瑛と手の中の西瓜を交互に見比べ、それを口にしようとはしない。
訝しんだ楸瑛は、首を傾げると、なぜ食べないのかと問いかける。
絳攸的には、怪しい感じがするから、以外に答えはないのだが、それを言うのは少しためらわれる。
真意を探ろうと、楸瑛の顔を見ると、ばっちりと目が合ってしまい、さらに居心地が悪い。
「美味しそうなのになあ。……あ、私も食べて良いかい、“この西瓜”」
「えっ? ……あ、ああ」
“この西瓜”というのは、きっと楸瑛が持っている、満月が欠けたような形をしている西瓜のことだと思い、頷く。
……もともと、楸瑛と一緒に食べようと思って持ってきたのだから、異存は全くなかった。それを口に出そうとは思わないが。
ありがとう、と一言言った楸瑛は、手に持つ決して軽くはない西瓜を机の上に載せる。そして、あろうことか、何をするのかと瞳を上げた絳攸の手に持った西瓜にぱくついたではないか。
しばらく、しゃくしゃくという西瓜をかみしめる音が響く。
「なっ、何をする!」
あまりなことで再び硬直していた絳攸も、楸瑛が口内の汁を飲み込んだ瞬間に覚醒する。
「うーん、やはり冷やすと美味しいね」
合わせ目から取り出した手ぬぐいで口を拭きながら、叫ぶ絳攸をものともせずに心からの賛辞を口にする。それも、満面の笑みで。
「なぜ、俺のを食うんだ!! たくさんあるだろう、そこに!」
「え? だって言っただろう、“この西瓜”を食べて良いかと」
つまり“この西瓜”とは絳攸が手に持つ西瓜だったわけで。
「素敵だろう? 二人で一緒の西瓜を食べるなんて。まるで恋人同士みたいだ」
そうだ。楸瑛が気前よく相手の得になるだけの行為をするわけがないのだ。
「……貴様となぞ死んでも御免だッ! さらに、その“まるで”の後が気にくわん!」
怒りのせいで、西瓜を持つ手が震える。しかし、どんなに睨み、吠えても、この脳天気な男には何も通じないのだ。
「ああ、そうか。私たちは“まるで”などではなく、“本当”の恋人同士だったね」
「そうじゃない!! そんな訳があるか!!」
ああいえば、こういう。双方どちらにも通じるこの言葉らしく、二人は舌戦を繰り広げた。
「いやだな、絳攸。私はこんなに君を愛しているのに」
「俺はお前など愛していない!」
「じゃあ、なぜ藍家へわざわざ来るんだい? それも、秋に向けた予算の組み立てで忙しいこの時期に。西瓜を持って」
「ぁ、……〜〜っ」
言い返そうと口を開くも、どうも全ての言い訳が墓穴を掘ってしまいそうだったので、歯がみする。ひどく、口惜しい。
そんな絳攸がやはり愛おしくて、楸瑛は優しく微笑む。
「絳攸?」
しかし、愛おしくても、答えは欲しい。既に分かってはいても、この愛する彼の口から聞きたいのだ。
「………西瓜、を……食べたかったからだ」
「そう。……なら、食べればいいじゃないか、“この西瓜”を、ね」
ほら、と楸瑛は絳攸の手の中にあった西瓜を取り上げて、示してみせる。
綺麗な半円だった西瓜は、どこかの常春によって形が崩されていたが、形はどうあれ西瓜は西瓜であるはずだ! ……と、どうも反撃できそうになくあきらめた絳攸は考えた。
絳攸が腕を伸ばす。楸瑛から西瓜を取り戻すと、そっと口を近づけていく。
しゃく、と小気味よい音がして、西瓜の一片が絳攸の口の中に収まる。
それは、小さな小さな欠片だったけれど、どこまでも甘いその味が、絳攸の口の中一杯に広がっていく。
「……で、どうだい? 味の方は」
「………確かに、美味い」
しゃく。しゃく、しゃく。
初めは、おずおずと。しかし、次第に大胆に、絳攸は西瓜を口に運び始める。
まるで初めて美味いものを口にした貧しい子供みたいに、一心不乱に西瓜を食べる絳攸を見て、楸瑛は少しだけ物足りなさを感じる。
……こんな風に、自分を求めてくれたら嬉しいのに。
でも、そんな気持ちはおくびにも出さない。そんなことをしたら、この可愛い迷子が離れていってしまうのを感じているから。
「絳攸、そんなに勢いよく食べたら口の周りがすごいことになるよ?」
少しでも意識をこちらに向かせておきたくて、楸瑛がみつめてみても、絳攸は無言で西瓜に向かっていた。
西瓜の汁に濡れて、絳攸の唇が淡く光る。それが何とも言えず扇情的で、楸瑛は自分の中でなにか粘着質な感情が頭をもたげてくるのを感じた。
「……仕方がないね」
首を曲げて西瓜を食べ続けるのに疲れて、絳攸はふと顔を上げる。
さっ、と絳攸の顔に影がかかる。気付いたときには、ぺろりと口の端を舐められ上げていた。
「……なっ!」
ぼとり、と絳攸の手から食べかけの西瓜が床に落ちる。
ああもったいない、と残念そうな顔で楸瑛は言うが、絳攸にはその顔のどこが残念そうな表情なのか分からなかった。
「私ももう少し食べたかったのに」
「おっ……お前の所為だろうが、常春馬鹿男!!」
にやり、と楸瑛が笑う。
身の危険を感じた絳攸はさりげなく後ずさりしながら、机の上の西瓜を指差し、まだあるだろう、と気を逸らそうとする。
だが、それは悲しいかな逆効果だった。
「まだある、ねえ……。そうか、まだあるじゃないか」
いつもは人当たりの良さそうな笑みを浮かべているだけに、こんなふうに暗く笑うと余計寒々しく感じる。
本気で逃げ出そうとした絳攸の腰を抱き留めて、楸瑛は顔を近づける。
「西瓜の味なら、ここに……」
「何…」
反論を許さず、絳攸の口の周りについた、少しべたつく甘い汁を全てなめ取り。
「ここにも」
吐息混じりに呟いて、絳攸の口腔を蹂躙していく。
そこは、先程まで西瓜を食べていた名残で、とろけるように甘い味がした。
楸瑛の巧みな舌の愛撫に体の芯を熱くしながら、それでも、心は屈したくはないと拒絶する。
それでも、申し訳程度に彼の胸板にあてられた手の最後の抵抗力まで、甘い汁と一緒に楸瑛に吸い取られてしまう。
絳攸の“鉄壁の”理性は、楸瑛には何も通じなくて。いつしか、拒絶するために使っていた手が、相手の背中に回されていることに気付いて、どうしてこんな男なんかに、と少しだけ後悔する。
「やっぱり、西瓜なんかより、君の方がよほど甘い」
目尻と頬を紅く染めて、微かに震えるこの身体には、この色男の囁きが何物にも代え難い快感となって感じる。
次に楸瑛が何を言うか、絳攸には予測できたけれど、それでも……
「……食べてもいいかい?」
「か、勝手にしろ……っ!」
絳攸は、こう答える以外すべを持っていなかった。
そうして、嬉しそうに微笑む常春を眺めながら、せめてもの意趣返しに、と口を開く。
「先程、お前は俺に“愛しているのか”と聞いたな」
早くも服を脱がしにかかっている気の早い男は、視線だけこちらに寄越した。
「俺はお前を愛してはいない。…………好きだ」
びくっ、と楸瑛が動作を止める。
頬を染めながら絳攸はしてやったりと微笑んで見せたが、それはまたしても逆効果だったようで。
「絳攸、私を煽った責任はしっかり取って貰うからね」
絳攸が、この後睡眠時間をろくにとれなかったのは言うまでもない。

後書き(ってか言い訳

悲しいことに、これは暑中見舞い用のフリー小説にするつもりでした。
できあがりがかなり遅かったために、残暑見舞いになってしまうことに……。
あ、でもこんな残暑見舞いでよろしければ、フリー配布いたしますので(一応)持って帰っていただいてもよろしいですよ。報告は特に必要ありませんが、頂けるとうれしかったり(あは 
配布は終了いたしました。 @空見

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